No.7 「ナポレオン ―虚像と実像の狭間で」

榎本海月の連載

革命後に現れた皇帝

ナポレオンは革命後の近世フランスで皇帝になった男である。結末は決して華々しいものではなかったが、一度はヨーロッパを席巻した彼の名声は高い。
ナポレオンは地中海のコルシカ島で生まれた。当時のコルシカはイタリア領からフランス領へ譲渡された頃だった。ナポレオンの父がフランスへ帰順し、ナポレオンはパリ士官学校に通った。成績は優秀とは言い難く、一三七人中四二番という微妙なものであった。内向的な性格で、本を読んで過ごすことが多かったといわれる。
その後、軍人としての頭角を現し、イタリア遠征軍最高司令となった。当時の遠征軍はオーストリアへのけん制の意図が強く、装備も規律も悪かったが、ナポレオンの指揮によりオーストリア軍に連勝している。
帰国後、ナポレオンはクーデターにより政治の指導権を握り、第一執政、終身執政を経て、三十五歳の時に皇帝となった。その後、行政、司法などの改革を行い、フランスの近代化に貢献した。ナポレオンにとって戦争は政治の延長であり、自らの権力の根幹は勝利であることを自覚していた。そのため、多くの戦争を行い、欧州諸国からは発展著しいフランスを疎ましく思われ、戦争が繰り返されている。
一八一二年にロシアへの攻撃を進めたが、翌年敗北を喫した。それからは不幸が続き、一八一四年には軍を退き、エルバ島に流されている。その後は島から脱出し、王政が復活していたフランスで再び皇帝となったが、一八一五年のワーテルローの戦いで連合軍に敗れて、百日天下となってしまった。こうしてナポレオンはセント・ヘレナ島に流され、そこで亡くなっている。

虚像と実像

ナポレオンは偉大な英雄であるとされている。実際、その偉業は英雄と呼ぶのに相応しいものだが、彼が(時に自覚的に)発信したイメージの中には、虚像と呼ぶしかないものもあったようだ。有名なのは身長にまつわる話で、実は小男の彼を絵画では大柄に描いた、とされている(実際には平均より背が高く、しかし兵士としては小柄であったという)。
英雄には伝説がつきものである。全くの虚構だけで英雄になったものもいるだろうし、概ね真実だが枝葉程度の伝説がついているものもいるだろう。あまりにもやったことが偉大すぎて、伝説ではむしろ控えめになっている英雄なんて人がいてもおかしくない。あなたの作る英雄は、どんな伝説を持っているだろうか?


【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。

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