『鼻』―コンプレックスって一生なくならないよね、たぶん。

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

芥川龍之介・作『鼻』

〈あらすじ〉
 禅智内供(ぜんちないぐ)という50歳を超えた僧はあごの下までの長い鼻を持っており、若いころから悩みの種であった。人から笑われるだけでなく、食事するときなどにも大変不便で、弟子に持たせた板に乗せて汁物をすするという有様だった。
 そんな中、弟子が高名な医師から鼻を短くする方法を教わり、その処置を受ける。内供は鉤鼻くらいまで鼻を短くすることに成功する。しかし以前とは違う鼻となったため、周囲からやはり笑い者にされてしまうのだった。
 その後内供の鼻はもとの長さまで戻る。あごの下までの長さに戻ってしまった鼻を見て、内供は晴れやかな気持ちになる。

他者と違うと笑われる?

 芥川龍之介・作『鼻』。鼻が高いだとか、鉤鼻でコンプレックスだとかいうのはよくあるお話でしょう。『源氏物語』にも末摘花という鉤鼻で不美人な女性(平安時代の価値観では、ですが)が登場します。
 この作品の禅智内供の鼻はなんとあごの下までという長さ。……ゾウさんかな? ですが像のように自力で(手や道具を使わず)持ち上げられるわけではありませんので、まったくの長物です。ええ、読んで字のごとく、そのままですよね。そんな内供は昔から笑い者にされてきました。
 差別は良くないという現代でも、やはり容姿というのは良くも悪くも注目されます。太っているだとか、背が小さいだとか、成人なのに子供と間違われるくらい童顔だとか。本来であれば笑われるようなことではありません(とはいえ肥満は健康を害するので、その観点から気を付けてほしいのですが)。けれど他者と違う外見は、やはり注目を集めてしまうのでしょう。
 かくいう私も、明らかに海外の方だなという顔立ちには少々緊張してしまいます。肌の色などで人種差別をする気はまったくなく、どちらかというと外国語に対する緊張なのですが(日本語以外しゃべれません! 海外旅行すらしたことありません!)、それでも不快に感じる方はいらっしゃるでしょう。ごめんなさい。

本当に容姿のせいなのか

 内供は弟子の治療を受けて、ほとんど普通に近い鼻を手に入れます。その治療方法もちょっと変で、ていうか内供の鼻どうなってんの? ていう内容なのですが……あえてあらすじには書きませんでしたので、実際に読んでみてくださいね。
 ですが、やっと普通の鼻を手に入れたのに、やはり周りからは笑われてしまうのです。
 確かに、知り合いが普段と違う格好をしていたら驚きます。例えば、それまで黒髪を通してきた友人が突然髪を緑やピンクに染めたら、そりゃあ驚くでしょうし。鼻が短くなったということは、つまり顔が変わったのとほとんど同じでしょうから、周囲が驚くのも無理はありません。
 とはいえそれが好意的でない、むしろ嘲笑的な反応なのはなぜでしょう。それは常と違うからでしょうか。それもあるかもしれません。鼻が短い内供が笑われる理由は、作中で「人間とは人が不幸を切り抜けると、今度は物足りない気がする。むしろもう一度不幸を願うようになる」というようなまとめをされています。
 ですが周囲の反応にこそ、内供という人の人柄が現れているような気もします。
 鼻が短くなった内供は、周囲がむしろ以前より内供を笑っていることに気づきます。そして次第に機嫌を悪くし、意地悪に叱りつけることさえありました。坊さんのくせに……。
 確かに笑われると気分を害するでしょう。けれど内供はもう50年もそういう生活を送ってきたはずなのです。笑われて反論するのはともかくとして、意地悪くしかりつけるというのは、自分の不機嫌に任せて理不尽な叱責をするということ。鼻が短くなったからといって、50あまりの中年男性の性格がそう簡単に変わるものでしょうか。
 つまり、内供はもともと意地悪さを持ち、かつそれを周囲にぶつけてきた人間なのではないかと私は思うのです。
 いつもつっけんどんなふるまいをしている人と、愛想よく周囲に溶け込んでいる人。もしこの二人がなにか周囲に迷惑をかけたとして、許されやすいのは間違いなく後者でしょう。人は親しい人には優しくなれるものです。  作品の最後で、内供は再び長い鼻に戻ってしまいます。内供は
「こうなれば、もう誰も哂うものはいないにちがいない。」(本文より)
と晴れやかな気持ちになりますが、私にはどうしてもフラグにしか思えないのです。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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