日本初の女性職業作家
樋口一葉は言わずと知れた五千円札の肖像の人物ですが、日本初の女性職業作家としても知られています。それは一葉が若くして一家の家計を支えねばならぬ立場になったことが大きく関係しています。一葉が作家を志した理由は、現代ではあまり考えられない選択肢でしょう。
家族を養うために金銭を得たいという人間に、現代であれば「もっと堅実な職を選べ」と誰もが言うはずです。明治時代には堅実な職業であったとも言い難いでしょうが、当時女性が就ける職というのは限られていたでしょう。一葉は小学校の成績も優秀だったそうですから、もしかしたら「私は作家に向いている」という確信があったのかもしれません。とにもかくにも、一葉は作家としてデビューし、数々の作品を驚異的なスピードで発表しました。
重責を担った17歳
樋口一葉は本名を奈津(なつ、夏子とも)といいます。父は下級とはいえ明治政府の官僚でしたので、まあまあな家庭だったのではないでしょうか。
小学校では首席になるなど一葉は優秀な少女でしたが、女性は良妻賢母となることが求められる時代。一昔前は、女子に学問など必要ないという時代でしたが、この頃から「良妻賢母になるためにも学問が必要」と女子教育が向上され始めたようです。しかし前時代に育った母はそうではなかったようで、「学問よりも針仕事」という方針でした。そのため一葉は12歳頃から学校教育を受けず、裁縫などをして過ごしました。まだまだ女性教育の不十分な時代ですから、女子としてはよくあることでした。
とはいえこの頃から文学に対する情熱があったのか、14歳で歌塾「萩の舎」に通い始めます。ここには上流階級の女性たちが多かったようですが、この中でも一葉は才媛とほめたたえられます。やはり昔から優秀だったのですね。
しかしその後、一家は不運に見舞われます。一葉が15歳のときに兄が肺結核で死去。その後一葉には縁談もあったのですが、17歳のときに父が亡くなり、婚約も破談。一葉は一家を養わねばならない立場になります。
現代であれば女子高生くらいの年齢です。そんな少女が母や妹を養うだなんて……現代の方が職は多そうだなあと思うのですが、私には無理です(どきっぱり)。
この頃一家は洗濯や針仕事の内職で生計を立てていました。一葉だけでなく母や妹と力を合わせて働いたのかもしれません。とはいえ女だけで生きるのに優しい時代だったとも思えないので、生活は大変だったでしょう。お金を稼ぐ以外にも家事や移動に現代よりずっと時間と手間がかかるわけですから。
小説家を決意した19歳
歌塾の仲間が原稿料を得たという話を聞きつけ、一葉は小説家を志します。半井桃水(なからいとうすい)という作家に師事し、20歳で作品を発表することになります。しかし桃水と恋人関係にあるという噂から歌塾の師匠に咎められ、桃水のもとを離れています。
起業家となった21歳
それでも生活苦は続いたのか、一葉は現在の東京都台東区に雑貨や駄菓子を売る店を開きます。現在の大学生くらいの頃に企業したわけですね。まあ内職で生計を立て始めたころからつまりは個人事業主になったわけですから、その時点で起業家といえなくもないのですが。
その店は吉原(遊郭街)からもほど近く、のちの名作『たけくらべ』の執筆に大いに影響を与えました。『たけくらべ』については、次回ご紹介したいと思いますので、そちらもチェックしてね(ちゃっかり宣伝)。
雑貨店経営はのちの作品に多大なる影響を与えはしました。とはいえ経営としてはうまくいかなかったようです。
奇跡の14か月
一葉は1894年12月、23歳で『大つごもり』を発表しました。ここから1896年1月までは「奇跡の14か月」や「奇跡の1年」などと呼ばれます。
それもそのはず、一葉はこの14か月の間に次々作品を発表しただけでなく、一葉の主要作品は全部この時期に書かれたと言っても過言ではありません。
ワープロもPCもない時代に執筆して修正してって、物理的にも大変だっただろうなぁ。
若すぎる死
一葉は「奇跡の14か月」ののち、24歳という若さでこの世を去っています。死因は肺結核。兄の命を奪ったのと同じ病気でした。
早すぎる死のため、一葉が遺した作品は決して多くはありません。とはいえ24歳という年齢にしては多いのではないでしょうか。それは文学への情熱ゆえか、それとも生活への必死さがそうさせたのか。想像するしかありませんが、そのすべてが樋口一葉という作家と一葉作品を生み出したのでしょう。
若くして病死したことから、以前の私は一葉にはかなげなイメージを抱いていました。けれど一家を支え、内職に雑貨屋に執筆にと奔走した一葉は、実はかなり精神的にたくましい女性だったのではないかと思います。あるいは発病したからこそ文字通り必死に、それまで以上に精力的に執筆活動にいそしんだのでしょうか。
女性としても作家としてもまだまだこれからというときにこの世を去った一葉を思うと、背筋が伸びる気持ちです。私はとうに一葉の年齢を超えてしまいましたが、まだまだ足元にも及びません。ぐぬぬ。 体力はありませんが(おい)幸いにして健康なので、まだまだ文筆業に全力を尽くしていきたいと思うのです。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。