『舞姫』―文体って結構大事だと思うのです。

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

森鷗外・作『舞姫』

〈あらすじ〉
 主人公の太田豊太郎は官命でドイツ留学をし、現地で美しい女性・エリスと出会う。彼女はダンサーとして生計を立てていたが、ダンサーの収入は少なく、亡くなった父を弔うのにお金がないと嘆いていた。それを豊太郎が助けた縁で、二人は交際を始める。しかし仲間からの密告により、豊太郎は免官されてしまう。豊太郎は現地で働きながらエリスと生活を共にする。やがてエリスは妊娠するが、豊太郎は友人の相沢のつてで大臣に仕え、帰国することが決まる。エリスと帰国との間で悩む豊太郎は病気になり、臥せっている間にエリスは相沢からすべてを聞いてしまう。エリスは精神を病み、回復の見込みはないと診断される。自分の子を身ごもったエリスを置き去りにし、豊太郎は帰国する。

設定は日本版ハーレクイン?

 今回ご紹介するのは森鴎外の名作『舞姫』です。
 その前に「ハーレクイン」について少し。ハーレクインとは海外のロマンス小説を翻訳出版しているレーベルです。コミカライズ作品も多いのと、ハッピーエンドが約束されているので、私は何も考えず安心して楽しみたいときによく読んでいます。
 そのハーレクイン、主人公の女性の前にとんでもなくハイスペックな美形男性(国籍問わず)が現れて恋に落ちるというのが定番パターン。貧しいヒロインがそのハイスペックイケメンヒーローによって救い上げられるシンデレラストーリーも、ハーレクインでは珍しくありません。
 さて『舞姫』の冒頭に戻ってみますと、収入は少なく、あとはもう身売りをするしかないような(実際そういう副業をする同僚も多いと作中で描かれています)状況で、異国からの留学生(つまりエリート)が救いの手を差し伸べてくれるわけです。めっちゃハーレクインっぽくないですか。まあ日本人ですししかも明治時代。身長は小さかったかもしれませんけどね。
 あと恋の末に、思いがけず子どもを授かってしまうこともハーレクインではよくあること。それによって更にすれ違いやらごたごたやらが描かれることもしばしば。まあ、妊娠なんて大事、ハーレクインじゃなくても物語は動きますよね。
 ハーレクインと大きく違うのは、物語の結末がハッピーエンドではないということ。そして主人公はヒロインではなくヒーロー(と呼ぶのに抵抗があるのですが)の豊太郎。シチュエーションだけ見ればハーレクインに近いような出会いも、男性視点であるということもあってか、作品の印象や空気がまるで違います。甘く明るい展開へと向かう気配や期待もありません(言い切った)。

恋に身を滅ぼし、恋を滅ぼした豊太郎

 豊太郎という人は、つくづく不器用な人間だったと思います。真面目だったとも取れますが、ここはあえて不器用と言いたい。
 彼は留学中、仲間たちと遊ぶようなことがありませんでした。それゆえに確執を生み、最初は純粋な人助けの気持ちからエリスと付き合い始めたのを留学仲間に密告され、留学生という立場も学資も失い、身を崩していく。
 仕事として留学しているとはいえ、現地女性との恋がそんなにいけないことでしょうか。当時の価値観や倫理に明るいわけではないのではっきりとしたことは言えませんが。
 豊太郎は「芝居に出入りして、女優と交わる」と密告されました。さらにダンサー(女優)が娼婦としても働くことが多かった状況や、豊太郎自身が娼婦を嫌悪しているような描写があります。つまり「女優と交わる」ということは日本でいう遊郭(娼館)通いをするのに近かったということでしょうか。官命で留学しているということは、留学にかかる費用が国から出ているということです。そんな中、現地で娼婦のもとへ通うということは、マイナス以外の何物でもなかったのでしょう。
 豊太郎は本来であれば恨まれるべき人間ではなかったように思います。積極的に他とかかわろうとしなかっただけで、自分から他者を傷つけたり陥れたりこともなかったのですから。けれどそんな彼の不器用さ、かたくなさは敵を作ってしまい、結果的に豊太郎は生活苦に陥ります。
 豊太郎は帰国の道を選ばず、経済的な理由もあってエリスとその母との生活を始めます。最初は楽しいようでした。けれど彼の友人がやってきて、豊太郎を現状から救い出そうとしたことで彼らの恋は終わりへと向かっていくのです。
 最初に読んだとき、私は豊太郎の身勝手さに憤りました。どうしても同性である女性側に立って感情移入してしまうからでしょう。それは今でも変わりません。
 けれど大人になった今、彼の弱さもわかるような気がします。異国の地で同輩の味方もなく、孤独でいるときに祖国の母を亡くし……人助けをしたつもりでも、本当は豊太郎こそがエリスを、いえ、自分を必要としてくれる人を必要としていたのかもしれないと思うのです。果たしてエリスとの関係は恋だったのか、愛と呼べるものだったのか、疑わしく感じています。その是非は置いておきます。それに彼の弱さを理解できても、肯定はしたくありません。

「現代文」に疑問を持ったJKの私

 『舞姫』は文学史や国語の授業においては、現代文のくくりとなっています。しかしその本文は古文調で書かれています。確かに古典と言うほど古語ばかりという訳ではないのですが、それでも言い回しが結構古いので、私は現代文ぽくないと感じてしまいました。初めて読んだとき、「現代文とは」とおおいに疑問に思ったものです。しかも舞台が日本ではなくドイツであるために、なおのことその違和感は強いものでした。
 私が初めてこの作品を読んだのは、部活とエンタメ小説にしか興味のない高校生時代でした。
 勉強はしないがなぜか国語の成績がまあまあ良いというJK時代。たぶん、小説の延長だったからかなー。とはいえ「勉強」は大嫌いなので授業で扱わない教科書の収録作品なぞに興味を持つはずもなく(あれ、この話どっかでもしたな)。当時はラノベをはじめとするエンタメ小説に夢中だったので、堅苦しいイメージのある教科書の作品に手を出さずにいました。
 特に『舞姫』は古文調です。もちろん森鴎外の『舞姫』という作品があることは知ってはいましたし、曲がりなりにも物書きを志す人間としては「読まなければ」という気持ちが多少あったものの、授業で解説してくれるでもない古文調の文章をわざわざ調べて読もうとは思わず。「まあ、いつか読もう」と思うだけで放置していました。うん、「いつか」と「明日から」は一生やらないやつですなー(遠い目)。ただ幸運なことに、『舞姫』が授業で取り上げられることになり、その「いつか」はやってきたのでした。
 その授業は少々ユニーク(?)で、古文調の『舞姫』を現代訳にしようというものでした。カテゴリは現代文の作品なのに、現代訳。今思うと色々ちぐはぐです。とはいえ樋口一葉の作品などは現代訳が出版されていたりもするので、案外あることなのでしょうか。
 課題はクラスをいくつかの班に分け、パートごとにグループで訳すというものでした。当然ながら課題なんて大嫌いだったのですが(コラ)、現代訳の小説を全員で作り上げるということには俄然惹かれ、めずらしくやる気を出した私は現代訳に挑みました。
 というのも、古文の予習もそうなのですが、ただ古語辞典を丸写ししただけの直訳文が、当時の私には大変つまらないものだったのです。エンタメ小説なら楽しいけれど、「勉強」は楽しくないという心理でしょうか。苦行に感じていたから勉強嫌いだったんだろうなぁ。勉強好きな人って勉強を楽しんでいますよね。「知らないことがわかるようになる」って今ならとても楽しいのですけれど、残念ながら当時の私にそのような考えは微塵もなく。大人になってから「勉強やり直したい!」という人はそれなりに多いように思いますが、私みたいなタイプなのかしら。
 そういえばJKの私は、この課題に対してなぜだかクラスの誰よりも小説として良い訳文が書けると自負していました。蓋を開けてみると、確かに私は誰よりも小説らしい文章を書きました。現物が残っていないので私の主観による記憶の話なのですが。でもほかのグループの作品……というより課題は、ほぼ直訳そのまま。その中で私の文章はとても異質なもので、上手く書けたと喜ぶよりも、思春期の気恥ずかしさが勝った記憶があります。オタクがやっちまったいっていう話、ひとつやふたつは身に覚えがありますよねー……(目をそらしながら)。
 大人になって『舞姫』を読み返してみて、古文調に対する違和感は当時ほどにはありませんでした。とはいえ、やはりエリスのセリフまで古文調なのには、さすがに今も違和感がぬぐえません。豊太郎視点の日記的な文章なので仕方ないと言えば仕方ないのですが。 特に現代のエンタメ作品では、キャラクターの口調もそのキャラを形成する上で重要な要素です。令和の現代だとしたら、豊太郎やエリスは、どのような口調で描かれるでしょうか。いえ、そもそもドイツ語で会話しているはずなので原音はわからないのですけれど。もし日本語吹き替えをするとしたら―。そんなIFを想像しながら読むのも楽しいのではないでしょうか。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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