『古事記』『日本書紀』―神話と歴史と資料考証のお話

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

『日本神話』という作品はない?

 私が日本神話に興味を持ったのは小学生のころ。当時好きだったマンガが日本神話の天の岩屋戸のシーンをモチーフにしたものだったからです。主人公たちが学校の図書室で「日本神話」の本を探すシーンがあるのですが、そのマンガのあとがきか何かで「実は日本神話というのは『古事記』や『日本書紀』なので『日本神話』というタイトルの物語ではない。作中ではわかりやすいように『日本神話』と表記した」というようなことが書いてありました。当時の私には『古事記』や『日本書紀』という言葉は難しくて記憶に残りませんでしたが(おい)、「日本の神話を調べたいときは『日本神話』という本を探しても見つからないんだ」という発見だけは残りました。ちょっと賢くなった気がしたものです。マンガやエンタメから得る実用的な知識って、案外ありますよね。
 というわけで、本日は日本神話のお話です。

神話とは歴史である

 現代でこそ神話はフィクションであり、日本列島は神々が創りたもうたものではなく地殻変動によって生まれたとされています。しかし古代の人々にとってはそうではない。なぜこの国土が存在するのか、なぜ人間は誕生したのか、それを語ったのが神話でした。歴史書であると同時に、科学書の意味合いもあったのかもしれません。
 もちろん日本だけでなく世界各国で同様の現象が起きています。つまり人々の生活から神話は切り離せません。本人は無宗教だったとしても、信仰(価値観)によって生活は左右しますし、土地の影響を受けずに人格や生活が形成されることはまずないでしょう。そのためファンタジー世界を描く場合、神話や信仰というのは結構重要になってきます。世界各国の神話を読み比べてみるのも面白いので、日本だけでなくぜひ、他国の神話も読んでみてください。

『古事記』と『日本書紀』の違い

 これらはまとめて『記紀』と呼ばれ、セットにされることも多いです。そう、ごんべんといとへんなのですよ。『古事記』はともかく『日本書紀』はよく『日本書記』と誤字っちゃうんですよねー。経験のある読者様もいることでしょう。
 日本神話は実はこのふたつだけでなく、『風土記』なども関わってくるのですが、まず日本神話を学ぼうとすると大抵入り口になるのはこのふたつ、あるいは『古事記』から入る方が多いでしょうか。なので『風土記』のお話は割愛。
 このふたつの違いは、和語で書かれているか漢語で書かれているかということです。『古事記』は和語、『日本書紀』は漢語(漢文)で書かれています。古代では正式な文書は漢語で書かれていました。我が国最初の勅撰和歌集(天皇の命令で作られた和歌集)である『古今和歌集』はその序文も有名ですが、仮名序と真名序があります。仮名序が和文で真名序が漢文。漢文の方が「真名」とされていることからも、漢文の方がより正式なものだったことがわかります。かの有名な権力者・藤原道長の日記『御堂関白記』も漢文です。つまり『日本書紀』の方が正式な歴史書としての地位を持っていることになります。
 少し話はそれますが、文学や史学の研究者や学生は一次資料、つまり原典をあたることが大切にされます。それは人が書いたものである以上、解説だったり訳文だったりが間違っている可能性があり、それが間違っているとその後の研究に影響が出てしまうからです。私は古典をすらすらと読めるわけではないので現代訳に頼るのですが、訳文だけでなく原文の掲載されたものを探すことも多いのです。
 そういうわけで初めて『日本書紀』に触れようとしたとき、図書館ではなく新刊書店で探したのですが、『古事記』の原文はあるのに『日本書紀』の原文がない。「なんでだー⁉」と焦りながら書店の古典コーナーやら学術文庫コーナーやらうろうろしまくった覚えがあります。うん、古典とはいえ和文の『古事記』はともかく、漢文の『日本書紀』なんて新刊書店にそうそう置いてないよね……。てゆーかあっても漢文は流石に調べても読めんわ私……。という、『日本書紀』が漢文で書かれていると知らなかった当時の私の恥ずかしいお話なのでした。当時の年齢は……うん、既にまあまあ大人でした。
 で、話を元に戻しまして『古事記』と『日本書紀』の違いですよ。
 内容は概ね同じです。最初の神様たちがお生まれになって日本の成り立ちを説明した神話に始まり、後は歴代の天皇の記録(神話)が続きます。『日本書紀』の方が紹介されている天皇の数が多いかな。
 「概ね」としたのは、天皇の記録以外にも細々とした違いがあるからです。例えば日本神話における最も尊い三柱の神、アマテラスとツクヨミとスサノオ。この三柱は『古事記』では国産みで有名なイザナギが禊をした際に生まれます。ですが『日本書紀』ではイザナギとその妻・イザナミから生まれたとされているのです。日本神話の結構重要な神々ですが、『古事記』と『日本書紀』で生まれ方が違うってなんだか不思議ですよね。とはいえ『古事記』でもイザナミを母として扱っているシーンがあって「親とは……?」と疑問に思います。ていうかそもそも神様は生まれ方が人間と違うなんてザラに出てくるので、血縁関係とか気にしちゃダメなんでしょうね。
 こうした細かい違いは随所に見られます。なので日本神話を題材にする場合、少なくとも『記紀』は検証した方が良さそうです。ちょっと大変だとは思いますが、こうした違いやそれによって生まれる解釈の違い、神話(ストーリー)の空白部分などは、きっと創作の元となってくれるはずです。

『日本書紀』は1ルートだけではない

 そもそも『日本書紀』のエピソードも1通りではないのです。
 どういうことかと言いますと、そもそも『日本書紀』はそれまで散り散りに伝わっていた日本の神話をまとめたもの。「一説にはこう」「とある書ではこう」みたいな書き方をされてういるのです。なので『日本書紀』の中だけでも1エピソードにつきルートが2つ以上ある場合がザラにありまして、「え? 日本神話の世界ってパラレルワールドかなんかなの? どれが正解?」と混乱することもザラにあるわけでございます。ザラザラ言い過ぎですね。だって混乱して心がザラザラしたんだもん(上手いこと言ったつもりか?)。
 日本神話の入りとして『古事記』からという人が多いかも、というのは『古事記』は1ルートだからです。なので『古事記』を読んでから『日本書紀』を読んで違いを比較する、という流れの方がスムーズに読めるのではないでしょうか。
 若干ネガキャンしちゃいましたが、こういう比較・検証は文学史学に関わらず、資料検索をする際には必ず必要なのです。「得た情報が信用に足るものかどうか」ということを調べなければなりませんので、調べ物をする際はひとつの事柄に対して2つ以上の資料をあたるようにしてくださいね。
(あれ、作品紹介っていうか、情報収集のHow toみたいになっちゃった?)

古典って結構エログロなのです

 えーっと、何言うとんじゃいってツッコミはご容赦を。これを読む方の中にはまだ若いクリエイター志望者の方もいらっしゃるだろうということで、ちょっと注意喚起的な意味も込めまして。
 『古事記』においても、イザナギとイザナミが最初に国産みをしたときに「体に出っ張っているところ(イザナギ)と欠けているところ(イザナミ)があるからこれを合わせて国を産もう」と言うのです。つまりセッ(以下自重)。
 詳しくは作品を読んでいただきたいのですが、火の神を産んだイザナミの陰部が焼け爛れて死んでしまったりだとか、その後黄泉の国に行ったイザナミの姿がグロいだとか、イザナミから逃げるイザナギが尿で川を作って追手を阻んだとか、結構現代人が引きそうなエピソードが多数出てきます。
 まあ性交渉を神聖な儀式としている宗教なんかもあると聞きますし、それについては生命の神秘に関わるわけですからわからんでもないんですが。さすがに吐瀉物から神様が生まれるってどんだけやねん……と思うわけですよ(本当にあるエピソードです)。
 八百万の神は伊達じゃないというか、「こんなところからも神様が⁉」ってくらい理解できないようなところでぽんぽん神様が生まれます。ぶっちゃけ多すぎて、名前とか全部読むの諦めましたもん(おい)。しかも1回しか名前出てこないとかザラですし(あ、また心がザラザラしてる)。
 で、こういうエログロは日本神話に限ったお話ではないのです。ていうか古典には結構そういうシーンが多い。受験での出題作品が定番化しているのってそれ以外のシーンや作品を載せられないかららしいですよ。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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