『一寸法師』―おとぎ話は子どもの読み物にあらず?

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

「おとぎ話」ってなんぞ?

 コロナ自粛でお子さんに読み聞かせをする機会が増えた大人も多いだろうなあ。ということで、今回はおとぎ話の『一寸法師』をご紹介。え? 今更紹介するまでもないって? まあ、一寸法師といえばだれもが一度は読んだ(読み聞かされた)ことがあるおとぎ話の定番中の定番作品。日本人ならば誰もが知っている……ええ、異論はございません。
 ただしその本当のストーリーを知っているかというと、どうでしょう。「こんなん子どもに読ませていいんか⁉」と思う方も多いはず。ふふふふふ(ニヤリ)。
 と、その前に。『一寸法師』のお話をする前に、そもそも「『おとぎ話』ってなんぞ?」というお話を少し。

 「伽」とは看病や話し相手として付き添うこと、またはその人をさします。場合によってはちょっと色っぽい意味もあったりなかったり。「夜伽」なんて言葉は特に艶事を連想させますが、単に「夜付き添う(人)」的な意味もあります。
 室町時代以降、公家や武家などの身分の高い人々に仕えてその相手をする人々を「御伽衆」といいました。大河ドラマなんかを見ていても、時々登場しますよね。「おとぎ話」イコール「童話」と考えている頭で成人男性に仕える「御伽衆」を見ると、なんだかちぐはぐな気がしたものです。
 御伽衆は雑談の相手をしたり、お話を語って聞かせたりしました。雑談はともかく、お話? と思われるかもしれませんね。ですが現代のように娯楽のあふれた時代ではないので、きっと私たちがドラマやアニメを楽しむのに近い感覚だったのではないでしょうか。そこで用いられたのが「御伽草子」なのです。「草子(草紙・双紙などとも)」は本や読み物のことを指す言葉ですので、「伽で語られる物語をつづった本」ということですね。
 「御伽草子」という言葉にはもう一つ、作品集のタイトルとしての側面もあります。室町時代までに生まれた23篇の短編作品を江戸時代になって出版したのが『御伽草子』です。実は『浦島太郎』や『酒呑童子』もこのファミリー。『御伽草子』は大衆文学としてたくさんの人に読まれ、のちに女性や子ども向けに簡単な絵巻や絵本などにもリメイクされていきました。そうして現代にいう子どもむけの「おとぎ話」の形に変化していったようです。
 つまりなにが言いたいかといいますと、元は大人のための物語だったということです。

ざっくりおさらい『一寸法師』

 さて本題、『一寸法師』のお話に移りましょう。
 一寸ほどに小さく生まれた男性が、都へ出て貴族のお屋敷に出かけ、外出先でその家のお姫様を鬼から守り、鬼の落とした打出の小づちで大きくなり、姫とめでたく結ばれ、出世もします。今更説明するまでもないでしょうが、あらすじはざっくりこんな感じですよね。一寸は約3センチメートルですが、この場合実際の身長というよりも「非常に小さい」くらいに思っておいてください。
 ちなみに名前。お坊さんでもないのに「法師」とついているのは、一寸法師の両親が住吉神社に祈願して授かった子どもだからです。神社なのに法師? と思わなくはないのですが、日本には神仏習合という神と仏を同一視する文化もあるので、そのあたりが関係しているのでしょうか。詳しくないので、深くは突っ込まないでおきましょう。気になった方は調べてみてくださいね!(いい笑顔)

これでいいのか、一寸法師よ

 現代のおとぎ話としての『一寸法師』にはほぼ確実に紹介されていないであろうエピソードがあります。それはつまり、一寸法師が件のお姫様を罠にはめて結婚したということです……!
 近年、地獄をモチーフにした某マンガ作品(アニメ化もされました!)で登場したエピソードではあるので、案外知っている人もいらっしゃるのかもしれません。が、うら若き学生時代にこれを知ったときは衝撃でした。いやほんと、英雄って呼んでいいのこの人⁉
 詳細をご説明いたしましょう。
 一寸法師は両親のもとを離れ、都の貴族のお屋敷に仕えます。その貴族の娘だった姫君に出逢い、一寸法師は一目惚れをします。当時の風習として、貴族の女性に成人男性が直接会えるはずはないのですが、そこは体が小さい故でしょうか。とにかく絶対この姫を妻にしたい! と思う一寸法師なのですが、こんなに小さい体では結婚は許されないだろうと考えます。うん、まあそこは冷静なような。でも真っ向勝負する前に策をめぐらしているので、卑屈といえなくもないですね。
 問題なのはそこで一寸法師が講じた策というのが、姫に盗人の罪を被せて父親に姫を勘当させるというものなのです。
 ……はい、もう一回言います。この男、惚れた女性を罪人に仕立て上げやがっ(以下自粛)……!
 一寸法師は寝ている姫の口元に米粒をつけ、わざとらしくその場で大泣きします。自分が大事に集めていた米を姫が食べてしまったと嘆くのです。ちなみにこれ、原文でも「米」と書かれていて、炊いてないお米をどうやって口元につけたのかは謎です。
 それを知った姫の父は大激怒。姫を殺そうとまでするのですが(この人もちょっと直情型過ぎませんか)、一寸法師がとりなし(おま、どの口で)、姫は死刑にならず屋敷を追放されるのです。それに一寸法師がお供をし、鬼と遭遇し……という流れです。そのあとは無事大きくなって出世もしてハッピーエンド、となっているのはご存じの通りですが、姫がハッピーだったかははなはだ疑問です。
 現代の絵本なんかではほぼ100パーセントこのエピソードって入っていないと思うのですが、そりゃあこんなずるがしこいことしてバチも当たらず、綺麗なお嫁さんGETして出世しちゃうって、子どもには読ませられないよねぇ。『御伽草子』が元は大人向けと聞いて納得です。しかも室町時代といえば下克上の風潮も高まってくる頃でしょう(あっ、歴史には詳しくないので、詳しいことは調べてみてくださいね!(本日2回目のいい笑顔))。そういう情勢の中では、つまり「勝てば官軍」的なことなのかなあ。仕方ないかなあと思いつつ、姫のことを考えると、同じ女性として釈然としないのです。打出の小づちでそのまま潰し(以下自重)。

単にディスりたかったわけじゃありません!

 と、ひとしきり一寸法師をディスっちゃったあとで説得力はありませんが、つまりは「よく知っていると思っているものでも、立ち返ってみると新たな発見があって面白いよ」ということが言いたいのです。現に先に挙げた某地獄マンガはあまり知られていない一寸法師の過去を用いて1エピソード描いているわけですし。「おとぎ話」が元は「童話」ではなかったということだとか、案外現代にも古典由来の言葉ってたくさん使われているよとか。何が作品のモチーフになるかわかりません。「当たり前」や「常識」に疑問を持ってみると、実はそこに面白い目からウロコ体験があるかもしれません。
 あるいは古典に取材するというのもいいでしょう。芥川龍之介や中島敦など、名だたる文豪も古典を題材に傑作を残しているのですから。新しいものを生み出すためにも、古きものに目を向けるのは大事なのです。  ……ふう、上手くまとまった。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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