文学作品にまつわる平安時代のアレやソレ

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

文学こぼれ話をご紹介

 本日は作品を取り上げるというより、作品の中に登場するアレやソレについていくつか紹介したいと思います。
 というのも時代が違えばもちろん常識も違うわけでして、ぶっちゃけ現代だと犯罪では? なドン引き行為もあります。

垣間見って犯罪じゃないのか

 平安時代の恋愛プロセスにおいて案外重要だったのがこの「垣間見」。「垣の間から見る」ということなので、平たくいうと覗きです。……覗きです(なんで2回言った)。
 早速「現代では犯罪」案件ですみません。
 貴族の成人女性は、家族以外の異性に顔を見せてはいけないことになっていました。『源氏物語』では成人前の光源氏は義理の母である藤壺の宮によく遊んでもらっておりました。そこでまあめでたく初恋を経験するわけですが、成人すると会うことを禁じられてしまうのです。
 成人した男女が会うとなると、御簾や几帳という仕切りを隔てたり、扇で顔を隠したりしなければなりませんでした。高貴な身分の方ほど、直接会話することも許されず、女房という側仕えの女性が代弁することもあったくらいです。
 となるとなにが問題かって、恋愛するのに顔がわからないことですよ……! 女性が自ら外出することも少ないので、食パン咥えながら出会い頭にぶつかることもないわけです。そうなると男性は「どこそこの屋敷に美しい姫がいて」だとか「あちらの大臣に琴の上手な姫がいて」だとかいう噂を頼りに手紙や恋歌を送って恋愛をスタートさせるわけです。
 でも、やっぱり自分が恋愛する相手の顔は知りたいですよね。そこで「垣間見」なのです。
 垣は現代でも使われる言葉ですが、家の敷地を囲う仕切りのことですよね。壁で囲われていたお屋敷もあったでしょうが、垣は芝などでつくられるので、その隙間からこっそり中の様子を覗くことができたのです。だからって覗いていいのか、とは甚だ疑問なのですけれど。
 『源氏物語』の光源氏と紫の上(若紫)との出会いも、きっかけは垣間見でした。光源氏って絶世の美男子のはずなのに、垣間見(覗き)してるところを想像するとなんかがっかりー……と思わなくはないのですが、平安時代には割とあること。ほかの作品にも結構「垣間見」は出てきます。
 とはいえ当時の女性にとっても「垣間見」られてしまうのは恥ずかしいことというのは変わりません(そりゃそうだ)。

物語と和歌の落差よ

 平安時代、物語は低俗なものとされ、貴人は読むべきでないといった認識でした。著作権やら元の作品を重んじるという意識がないため、勝手に改変されることも普通でした。作者が伝わっていない作品が多くあるのも、時代の変遷といった理由だけでなく、そういった地位の低さも関係しているかもしれませんね。
 それに対して和歌は天皇の命令で和歌集が作られるほど重要なもの。少し時代は下りますが、室町時代には足利氏が自らの権力を示すため、天皇に奏上して勅撰和歌集を作らせています。単なる和歌にそこまでの力があるのか……と驚きです。

和歌は平安時代のSNS?

 和歌は公的な地位が高い。そう聞くと物凄く難しいもののように感じます。確かに和歌の出来で教養の高さなどが知れますし、勅撰和歌集の件もあり軽視することはできないのですが、とはいえ和歌は平安時代の貴族社会ではありふれたコミュニケーションツールでした。今でいうSNSかってくらいですね。いえ本当、大袈裟でなく。
 先にも書いたように、恋愛には和歌が欠かせませんでした。和歌の内容、紙、筆跡、墨の濃さ……など、そのすべてが相手を知るための重要な情報源。当時は通い婚ですから朝になると夫は妻の家から帰らなければなりませんが、初夜後の夫は「後朝の歌」といってすぐさま和歌を贈って愛情表現をしなければなりませんでした。それが遅れると薄情な夫、ということになってしまいます。
 現代人だってメールやメッセージアプリで相手を口説くのは普通でしょうし、デート後に「今日は楽しかったね(ハート)」っていうメッセージ送らないと、なんかポイント下がるじゃないですか(人によるって)。ほかにもその時感じたことを誰に充てるでもなくSNSで呟くのはまさに和歌のそれ。そう考えると、気軽なSNSから権力を示す勅撰和歌集まで、和歌ってずいぶんレンジが広いですよね。

実は数字に意味がある?

 『竹取物語』には3という数字が多く出てきます。かぐや姫はおじいさんと出会った頃「三寸」、大人になるまで「三月」、かぐや姫の大人になったお祝いの宴は「三日」。そのほかにも色々「3」という数字に縁があります。
 極めつけはかぐや姫に求婚した貴公子の人数です。「あれ? 5人じゃなかった?」と思ったあなた、正解です。
 が、実はもともとこの貴公子は3人だったという説が有力なのです。先ほども「物語が改変されるのは普通だった」と書きましたが、『竹取物語』はまさにそれ。当時は印刷技術などありませんから手書きで写すしかないのですが、その過程でついでに改変されることがよくありました。もちろん、書き間違いもありますが。『竹取物語』もそうした過程の中で貴公子があと2人、増やされたようなのです。

実は奥が深い何気ない事

 こうした数字だとか、ほかにも方角だとか、現代の私たちの感覚では大したことないように見えるものに実は意味があったりします。古典の授業で辞書を引かされていた頃には楽しめなかったものが(おい)、こうしてクリエイターとして見てみると驚かされたり、より楽しめたりします。あるいは自らの創作におけるギミックとして活用できるかもしれません。
 文学に限らず、創作に活用できそうな和風のアレやソレを弊社、榎本事務所による『日本神話と和風の創作事典』(秀和システム)の中でたくさん紹介していますので、こちらもよろしければどうぞ。積極的に自社の本を宣伝して(以下略!)。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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