太宰治・作『斜陽』
〈あらすじ〉
舞台は戦後の日本。貴族のかず子は29歳。父を亡くし、弟の直治は出征から戻らず、生活に苦しくなった母は東京の家を売ることを決め、かず子は母とともに伊豆で生活を始める。貴族として使用人に世話されていたかず子は母のために家事をし、畑仕事をするようになる。そんな母子の元へ、長らく行方不明だった弟の直治が帰ってくる。戦地で麻薬中毒となっていた直治は、次は酒や遊びに逃げるようになる。そんな直治は上原二郎という作家に傾倒し、彼と遊ぶために度々東京へ「出張」し、金を食いつぶしていく。かず子はかつて結婚していた頃、上原と出逢っていた。弟に金を渡すための仲介役となっていたのが上原とその夫人だったのだ。そのときともに飲んだ後、上原はかず子にキスをした。その後数年を経たいま、かず子は上原への恋心を爆発させる。
ネタバレビューは恐るるに足らず
古い作品を語るとき、どれほどあらすじを書いたものか迷います。ネタバレを嫌う読者ももちろんいるでしょうし、私も一読めのどきどきを奪いたくはないのです。なにより「読みたい」という好奇心を削いでしまうのは最も避けたいことですから。
ですが『斜陽』という作品はあまりにも有名で、ネットで少し検索するだけで、物語の結末まで盛大にネタバレしたレビューも出てきます。この記事を読んでくださる方の中には、ネタバレビューを読んで読書意欲がなくなっていたという方もいるでしょうか。それでも、私はこの小説を読んでもらいたくて取り上げることにしました。
かず子、母、直治、そして上原二郎の四人のそれぞれの没落を描いたこの作品は、『斜陽族』という流行語を生み出したほどのベストセラー作品です。今回私は角川文庫版の『斜陽』を手に取りました。平成27年の改版8版。解説は小説家の角田光代氏です。角田氏は解説で、十代の頃に太宰を夢中になって読んでいたが、その中で『斜陽』だけは「よくわからなかった」。そうしてほったらかしていたが、三十代半ばになって再び手に取ったとき、角田氏は『斜陽』にのめり込んだと書いています。思わず「わかるわぁ」と声をあげそうになりました。通勤電車の中だったので飲み込みましたが。私は大人になってから手に取りましたが、果たして十代や二十代の初め頃に読んでいたとして、これほどに感じ入ることができるだろうかと自信がありません。
というと、アラサー以上の方向けの作品のように思わせてしまうでしょうか。いえいえ、いくつになっても“いま”しか感られないこともあるのですから、興味を持たれたならば、是非いまお手に取ってみてください。太宰治ならではの言葉で、その絶妙な空気感や妙齢の女性の苦悩が見事に描かれています。小説という言葉のみで描かれる作品である素晴らしさを実感していただきたい。ネタバレビューで物語の結末を知り、以来きっかけを逃しているという方も、是非。
少女の顔を持つかず子
四人の没落を描く本作は、かず子の一人称で語られます。途中、弟の直治の手記も入りますが、それはかず子が作中にて読んだからで、視点も心情も一貫してかず子の視点で描写されているのです。
先に書いたように、かず子は29歳、バツイチ。それも前夫との子を死産したという、なかなかにヘビーな経歴の持ち主です。それなのに、かず子はまるで少女のようだと私は感じました。
当時の29歳といえば、世間的に見て若くはありません。かず子自身、作中で自分を「ばあさん」と自虐しているシーンがあります。であるにも関わらず、かず子はまるで少女のようなのです。母の美しさや気品を賛美し、母の愛を頼りにし、初めての恋に妄信的に突き進む。かず子は離婚をも経験した大人の女性であり、戦中に招集されて土木作業にも従事しました。ですが貴族として育ったためか、どこか世間知らずで浮き世離れしている空気があります。現実と空想の狭間を生きているような、強い西日のせいで輪郭がぼやけた景色の中をたゆたっているような……。と、タイトルにちなんでポエミーなことを語ってしまいましたが、そのくらいかず子は大人であって大人でない女性だったのです。
アラサー女性はいつの時代も同じ悩みを持つのか
かず子は29歳でありながら少女のようだと書きましたが、アラサー女性らしい部分もおおいに持っています。そこがかず子という人が「少女」と「女」の狭間にいると感じさせる一因なのでしょう。
母とともに伊豆に移ったかず子の元へ、年上の老人との縁談が持ち込まれます。そのときかず子は自分が結婚するには恋が必要だとその縁談を断りました。そのときかず子は自分を大人だと言い、来年三十になる自分を思い、こう語ります。
「三十歳までで、女の生活は、おしまいになると平気でそう思っていたあの頃がなつかしい。(中略)でも、中年の女の生活にも、女の生活が、やっぱり、あるんですのね。」(本文より)
かず子が上原への恋心を抑えなくなるのはこの直後のことです。
私も幼い頃は、自分がおばさんやおばあちゃんになることなど想像も出来ませんでしたし、三十までには結婚して子どももいるだろうと漠然と思っていました。二十代後半で結婚した母が、「結婚が遅かった」と昔言っていたせいもあるでしょう。母より早く結婚すると本気で思っていました。結婚や出産が遅いことに対する嫌悪感というか、「はずれた」感を漠然とですが持っていたような気がします。今となってはそんなものに捕らわれず、独り身でも楽しく生きていこうと開き直りつつありますが。てへ。
二十代の内に結婚と出産をしなければならない。それが女性の生き方だったこと、そう思っていた自分を非難するつもりはありません。母の世代の価値観ですし、それより古い『斜陽』当時の年齢感や常識では、なおさらそういう風潮が強かったでしょう。そういう時代もあったのは事実です。
しかし現代では、アラサーといえばまだまだ若い。女性の生き方も多種多様です。異論は認めません。……比較対象があれば「年長である」と言わざるを得ませんが。少なくとも「ばあさん」と自虐するほどではありません。
だというのに、女性にとって三十歳というのは、いつの時代もターニングポイントなのでしょうか。かず子が三十歳という年齢を前に現実を突きつけられたように、現代の女性たちの多くも、三十歳を意識せずにはいられないことでしょう。少なくとも私はそうでした。
男性にとってもそうなのでしょうか。ただ私にはよくわからないので、女性に関してのみ語らせていただければ、やはり出産がキーになってくるのでしょう。そうするとどの時代においても、必然的に三十歳が節目になる。これほど医学が発展し三十代どころか四十代以上で出産が可能な現代においても、妊娠・出産という物差しを持ち出すと、三十代以上はリスクが高まっていく未来を想像させられます。実際そうなのでしょう。妊娠の経験も予定もありませんが、間違ってはいないと思います。もちろん、三十代以上の妊娠・出産を悲観するものではございません。
そして出産しない選択もあると思います。ただ、それを選ぶにも一旦考えるのが三十歳という年齢であるような気がするのです。きっとどんな生き方も正解。すべての女性たちにエールを贈ります! 男性もね!
話をかず子に戻しますと、子どもを望むかず子には自分の身体のこと、そして人生のことがかかっているのです。時代的に、現代より出産のリミットに対する焦りは強いかもしれません。少女のように浮き世離れしていたかず子も現実を直視することになったし、そうして大人になったのではないでしょうか。
かず子は作中で上原へ宛てた手紙の中で、彼を「マイ・チャイルド」と呼んでいます。これがなぜなのか、読者は推察するしかありません。私はこのニックネームを見たとき、かず子の恋心は、純粋に上原へのものというよりも、彼の子どもを欲したことによるものではないかと思うのです。だからこそ23歳の頃にひっそりと抱いた恋心を、29歳になって爆発させることになるのではないかと。没落し、未来への不安で上原を頼ろうとした気持ちもあるでしょう。しかしそれだけでなく、やはり三十歳という節目を前に、母になることへの渇望が抑えられなくなったのではないでしょうか。
これはあくまで私個人の感想に過ぎません。ですからこちらには異論を認めましょう。あなたはかず子という主人公に、どういう女性像を抱くでしょうか。是非、ご自分で確かめてみてください。
太宰治の女性観
普段、私は男性作家さんの書かれた小説よりも、女性作家さんの作品を好みます。それは私も女性として、女性の描かれ方、心情に共感するところが多いからでしょう。ですから男性作家が描いた『斜陽』という作品にこれほど共感を覚えたことは、私にとって驚きでもありました。
太宰氏は作家として有名で優れていたのは言うまでもありませんが、とはいえ人間としてはダメダメでした。彼自身麻薬中毒になりましたし、女性関係も複雑で妻以外の女性との間に子どもまでいるし、自殺未遂を繰り返して最後は本当に自殺してしまいました。それも愛人と心中したのです。
以前はこんな人生を送った太宰氏を女の敵と思い、嫌悪感すら抱いていました。しかし何人も恋人がいたということは、女性にもてたということでもあります。なぜ彼が女性たちに愛されたのか、この『斜陽』を読んでわかるような気がしました。 かず子が母親を賛美する言葉はとても美しいのです。かず子の幼さや愚かさ、そして時折狂気じみた恋心を描きながらも、やはり女性の芯の強さやプライドも感じさせます。太宰氏が女性を尊敬し、愛していなければ、こんな描き方はできないと思うのです。そして男性でありながらここまで女性を生々しく、かつ美しく描いた太宰氏に、私は尊敬の念を抱きました。人間としてはダメな人だったと思うのは変わりません。ですが、だからこそこんなに美しい作品を世に残したのだとすれば、そのダメさすら肯定してしまえる。作家というのは実に不思議な存在です。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。