学校は暇の産物?
本連載ではここまで、現代日本における学校のあり方について中心に紹介してきた。そのような学校は、明治維新における西洋文化の受け入れの中で成立し、変化して、現在に至ったものである。とはいえ、学校はその時に突然生まれたものではない。古来より学校と呼ばれるものはさまざまな形で存在したのである。今回からしばらく、学校の歴史を紹介したい。
まず大前提として、近代まで「王侯貴族から庶民まで誰もが学校に通っている」というありさまはなかったと言って良い。「学ぶ」というのは贅沢なことだったのだ。
たとえばギリシャ・ローマの言葉で学校は「暇」を示しており、これは「奴隷が働く分自由民は勉強する余裕ができた」ことを指しているし、「エジプトの高官が息子に文字を学べば肉体労働から解放されるぞと教えた」などというエピソードも残っている。
また、近代日本が学校制度を始めようとしたときも、農民たちは自分の子供を学校に出すことを嫌がったという。というのも、子供は立派な働き手で、勉強させるなどという「稼ぎにならない」ことに出す余裕はなかったのだ。
では子供たちはどこで学んでいたかといえば「生きていくために最低限のことは親から教わる」「集落や都市での集団生活で必要なことは年長者たちからの教えや仲間との生活の中で自然と学ぶ」「生きるためにいらないことは学ぶ必要がない(だから識字率は長い間ずっと低く、文字が読めることは特殊技術だった)」「職人や商人の技術・知識は徒弟制度で親方からまなぶ」のであった。
逆にいえば、学校に通わせるほど余裕のある親は少数であり、そこであえて学ばせることで非常に価値のある技術・知識を身につけることができるということでもあったということになる(ただ、このような貴族教育はやがて実学的というよりは地位の顕示を目的としたものになっていったようだが)。この点、現代の学校とは大きく違う。
家庭教師
なお、王族や貴族になると学校という集団生活で学ぶのではなく、家庭教師をつけるケースが多かったことは補足しておくべきであろう。あなたの作る世界で王侯貴族が学校に通っていたら、それはその地域が解明的価値観を持っていたり、王や貴族の方針が特殊だったり、通う若者に何か事情があったりすることだろう。

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。