No.57 「隠者ピエール ―人々を駆り立てる」

榎本海月の連載

熱狂を導く

前回紹介した通り、最初の十字軍はビザンティン帝国の要請を受けた教皇ウルバヌス2世がクレルモン公会議で宣言したことによって始まった。その主戦力は冒険的に参加した諸侯や騎士たちであったが、それとは別に民衆たちも十字軍として東へ向かった。民衆十字軍である。彼らのほとんどは碌な成果を残さなかったが、小アジアにまでたどり着いたものたちもいる。この一団を扇動したのが修道士ピエール。「隠者ピエール」の通称で呼ばれた男だ。
そもそもウルバヌス2世はクレルモン公会議において「聖地を奪還せよ」「異教徒を倒せ」以外に2点、重要な宣言をしている。ひとつは十字軍に参加するものたちの罪を許すというもので、もうひとつは新たな移住地、領地としての東方を提示するものだった。当時の人々の価値観では「生きているだけで罪があり、さまざまな災厄はその罪から来ている」とされており、また人口は増えたが農地が足りないことから土地も求めていたので、教皇の宣言は的確に人々を動かしたのである。
そのような人々をさらに煽ったうちの一人がフランス北部、アミアン出身の修道士ピエールであった。ぼろぼろの身なりで裸足、財産はロバだけというみすぼらしい男の演説で民衆は熱狂し、聖地を目指した。ピエールはよほど口が上手かったらしいが、先にあげたような事情に加えて、明日をも知れぬ暮らしをしていた人々が僅かな希望をピエールにかけたという背景もあろう。
また、彼らは足らない物資は現地で略奪するという当時の常識通りに振る舞ったので、ピエールたちのもの以外も含めて民衆十字軍はいく先々で怒りを買った。
ピエールたちの民衆十字軍はどうにか小アジアに入ったものの、所詮は民衆の集まり(大きな勢力を持たない騎士たちも参加し、軍事指揮を取ってはいた)であり、攻撃されて殆ど全滅状態になってしまった。
ピエールはどうなったか。彼は生き延び、正規の十字軍に合流したものの、イスラム教側の都市アンティオキア攻めの間に逃げ、ヨーロッパへ戻ってしまった。最後は小さな修道院の長として終わったらしい。

歴史のうねりの中で

ウルバヌス2世とピエールはセットでキャラクター・モチーフとして注目したい歴史的人物である。彼らの演説や宣言が人々を動かしたのは間違いない。そこには彼らの個人的な能力もあったろうが、それ以上に「時代が求めた」「人々が望んだ」部分が大きいことも見逃したくないところだ。このような歴史のうねりが描けると、スケールの大きな物語に説得力が出せる。
一方で、教皇や隠者が当時何を考えていたか、十字軍や人々の結末を知ったらどう思っただろうか、という点を想像してみるのも面白い。理想と正義のために仕方がない、当然だ、と思っただろうか。それとも悲劇に心を痛めただろうか。


【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。

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