長い旅の果てに
マルコ・ポーロは主に13世紀後半に活躍した商人だ。彼の記録をまとめた『東方見聞録』はのちの大航海時代にも大きな影響を与えたとされる。
イタリア半島のヴェネツィア共和国に生まれた彼は、父親と叔父ともに東へ向けての旅行へ出発した。この時の彼はまだ20歳にもなっていなかった。まさかその後、この三人での旅が故郷に戻るまで約25年に及ぶ大旅行になるとは夢にも思っていなかっただろう。
マルコ一行はもともとイラクから海路でカターイ、つまり中国に入る予定だったが方針を転換し、陸路でシルクロードを辿って砂漠を渡り、中国へ到着した。この時の中国はモンゴル帝国が分裂した元王朝の時代である。マルコは皇帝・フビライに気に入られて彼に仕え、17年に渡って中国のあちこちを渡り歩いた。揚州総督になったこともあるというからなかなかの出世だ。
逆に言えば、皇帝に気に入られすぎて簡単には中国を離れられないという事情もあった。結局、マルコが中国を出たのは「イランにあったモンゴル王朝へ嫁ぐ元朝の王女の案内役」という役目を得てのことだったからだ。過酷な回路の末に役目を果たした彼はそのままヴェネツィアに戻り、大冒険旅行の幕を閉じた。
……と思ったら数年後、マルコは戦争に巻き込まれてヴェネツィアと敵対する都市国家ジェノバに囚われ、囚人生活を経験する。この時、たまたま同じ牢獄にいた作家にかつての冒険旅行の体験を語り、これが本にまとまったのがいわゆる『東方見聞録』である。
「イル・ミリオーネ」
マルコが語った東方の物語はヨーロッパの人々を魅了し、彼らが冒険・探索に出かける重大な動機になった。その中では我らが日本のことも「黄金の国」として紹介され、後世の人々がジパングにあるという莫大な財宝を求めて航海することになった。ただ、マルコの行動範囲はあくまで中国までであり、日本へ辿り着いてはいない。あくまで中国で噂・伝説として聞いたことを語ったようだ。
また、マルコ自身についても興味深いポイントはある。ヴェネツィアでの彼は「イル・ミリオーネ」と呼ばれていたらしいのだが、これは「東方から持ち帰った財産が由来の「百万長者」の意味だとも、いやそうではなく出鱈目ばかりの「百万虚言者」のことなのだとも言われ、はっきりしないのだ。果たして、マルコは百万の嘘をついたのだろうか?

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。