No.32 「ネロ」

榎本海月の連載

自らを芸術家と見た皇帝

ネロは五代目のローマ皇帝だ。前回紹介した皇帝カリギュラが暗殺によって死んだ後、4代目としてクラウディウスが即位したが、彼の4番目妻になったのがネロの母、小アグリッピナ(アウグストゥスの曾孫)だった。それもあってネロがクラウディウスの後継者となり、五代目の皇帝になるに至ったのだ。
こう書くと偶然で皇帝になったように思えるが、そうではない。実際には小アグリッピナは大変権力欲の強い人で、息子を皇帝にするために相当の策謀をしたらしい。最後にはクラウディウスを毒殺して皇帝の座を空けさせ、息子をその地位に着けたのである。
とはいえ、若きネロは母の言うなりになったのではない。むしろ、家庭教師のセネカや近衛長官ブルスといった有能な側近たちの助けを借りて善政を行いつつ母の影響力を排除した。しかし母との対立は深まり、ついにネロは母を毒殺してしまったのだった。
その後、ネロはセネカらを身辺から退ける一方で愛人ポッパエアの影響を強く受け、悪政が増えていく。特にローマ市内で起きた火事がネロの企みであるという噂が流れたこと、そしてそれを誤魔化すためにキリスト教徒を数多く殺させたことなどが彼の悪名になってしまった。各地で反乱が起きるなか、味方を失ってローマから逃げ延びたネロは、追手が近づいていくることを知り、自殺した。
そんなネロはギリシャ文化、芸術に傾倒した。それ自体はローマ皇帝には多く見られるのだが、彼の場合は自らを芸術家として規定し、実践しようとしたことは特殊かもしれない。詩を作り、歌を歌い、またドムス・アウレア(黄金宮殿)という壮麗な宮殿も作った。さらにオリンピア、つまり古代オリンピックにも出場して多くの名誉を勝ち取っている(ただし、それは八百長によるものだったとか)。それゆえに、彼の最後の言葉は「なんと惜しい芸術家が、私の死によって失われることか!」であったと伝わる。

説の彼方へ

ネロは数々の伝説に彩られた人物である。生前のそれもそうだが、死後になって彼の伝説は膨れ上がった。庶民はネロの復活・再来を噂したし、実際に偽物のネロが出現してたびたび兵をあげる事件も起きている。ユダヤ教の伝説でも「ユダヤ人を滅ぼすネロ」「ユダヤ教に改宗するネロ」などが語られ、さらにキリスト教の聖書『ヨハネの黙示録』でもネロを示すとされる666の数字が登場するとともに、ネロこそがアンチキリスト(反救世主)なのだという解釈もある。
概ね悪名ではあるものの、これだけの伝説を持つ人物はネタ元として使いやすく、またそれだけ当時の人々に強い印象を与えた証拠とも言える。


【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。

タイトルとURLをコピーしました