明治から昭和初期へ

コラム

近代を生きる人々

 年号が明治に変わり、新政府は「明治維新」と呼ばれる一連の改革に着手する。それは新たな政治体制を整えるとともに、西洋列強に追いつけ追い越せの精神で国家の産業・文化を発展させようというものだった。
 それは例えば藩を県に置き換える廃藩置県であり、富岡製糸場などの官制工場を模範として各地に作ることであり、お雇い外国人として技術を持った外国人を招くことであり、学校制度を整えることであり、西洋式のパーティーを開く鹿鳴館の建設であったりした。

 このような急激な変化は、特権を失った元武士を中心として国内に不満分子を生み出し、それをそらすための朝鮮出兵まで計画された。いわゆる「征韓論」である。しかしこれは阻止され、不満を持った提唱者である幕末の英雄・西郷隆盛らが政府を離れる。やがて不平分子に担がれた隆盛は九州で挙兵するも敗れ、死ぬ。西南戦争である。
 また、明治期には「憲法と議会を持つ政治体制を目指すべし」ということで自由民権運動が巻き起こった。紆余曲折あったが最終的には大日本帝国憲法が制定され、また選挙制度も始まった。ただ、この時の選挙権は多額の納税をした男子のみが持ち、現在の選挙には程遠かった。

 この時代は世界的に帝国主義、すなわち外国へ進出して植民地を増やしていく時代であり、日本もその渦に巻き込まれていく。明治後期には朝鮮半島・満州をめぐって中央(清)と対立、日清戦争を戦う。
 これには勝利したものの諸外国の介入で目的の完全達成には至らず、のちにロシアと日露戦争を戦ってまたしても勝利する。結果、日本の大陸進出が進み、満州と朝鮮半島を得ることになる。

 大正時代にはヨーロッパを中心に第一次世界大戦が起きた。日本はこれには深く関与はしなかったおかげで景気が良くなった。
 ほかに大正期の大きな事件としては関東大震災があって、首都東京が大きな被害を受けた。これと、一次大戦終了後の恐慌が深刻な影響を残した。

 昭和初期にはさらなる中国進出の機運が高まり、傀儡国家としての満州国が建設される(朝鮮も併合)。
 ところがこれが世界各国からの批判を受け、当時作られたばかりの国産連盟からの脱退、日中戦争、ひいてはアメリカをはじめとする諸国との太平洋戦争につながっていく。

創作のヒント:今が狙い目?

 明治、大正、昭和初期は実はいますごく狙い所の時代であると思う。『ゴールデンカムイ』は明治だし、大正なら『サクラ大戦』の新作が発表された。注目・興味が集まっている時代といえる。なお、個人的には軍人の格好、学生の格好、女学生の袴……という具合で、衣装がいい時代だと思うのだが、どうか。
 また、ここでちょっと前の話に一つ立ち戻りたい。鎌倉時代の回で「義経ジンギスカン伝説」を紹介したが、あの話が流行り始めたのはまさにこの頃なのだ。というのも、この物語はもともと存在していた「義経は北海道に逃げた」という伝説が、明治以降にさまざまな人々によって膨らまされて成立したものなのだが、その背景には当時の社会事情があったと考えられているからだ。
つまり、ヨーロッパを中心とする世界へ参入していくにあたって「ヨーロッパを苦しめたモンゴル帝国は日本がルーツなのだ」というのは心の支えになるし、中国大陸に進出するにあたっても「もともとここを支配していたのは日本人なのだ」というのは大義名分になる、というわけだ。インチキが流行るのにも理由はあるものだ。

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