天下太平の250年!
江戸時代は長く天下泰平が続き、大規模な戦争は絶えていたが、変遷は少なからずあった。
三代家光の時代にはいわゆる鎖国政策がとられ、日本人の外国への進出が禁じられたし、外国人たちの来日も制限された。しかし一般イメージと違って全く禁じられたわけではない、長崎ではオランダと中国、対馬では朝鮮、松前ではアイヌと接点があった。秀吉の挑戦征伐後に国交が回復した朝鮮からは十数年に一度朝鮮通信使が送り込まれたほか、琉球からは将軍代替わりごとに慶賀使が、また年に一度はオランダ商館の面々が江戸にやってくるなど、江戸の人々には外国と触れる機会は意外にあった。
五代綱吉の時代には「生類憐れみの令」が制定された。これは犬を保護する法律として知られていて、人より犬を優先する悪法として有名だ。しかし実際には病人や老人などの弱者保護をうたい、生き物を大事にすることで戦国時代以来の殺伐とした価値観を払拭しようとしていたのだと考えられている。
江戸幕府も長く続くと社会体制の変化から財政危機に陥り、度々改革が行われた。しかし、質素倹約、農業中心の八代吉宗の改革はそれなりにうまくいったが、商業中心の田沼意次の改革は汚職問題を引き起こし、吉宗の改革を真似した松平定信の改革、同じく水野忠成の改革はそれぞれ頓挫した。
江戸時代後期には様々な問題が一気に吹き出した。財政問題、固定化された身分制度への不満、西洋諸国による開国要求。
特に対外関係は深刻だった。この頃、西洋列強は盛んにアジアへ進出を続けており、中国(清)はアヘン戦争およびアロー戦争で西洋に敗北したことによってその権威を大きく低下させた。中国の二の舞になる恐怖が日本を襲っていたのだ。
幕府は押し切られる形で開国したが、その時に本来形だけの権威として持ち上げていた天皇の許可を取るなどしたことから幕府の権威が低下。天皇の権威が復活することになる。
以後、開国による世情の不安定化、外国人や幕府、諸藩要人へのテロなど事件が頻発。最後の将軍である徳川慶喜が政治の実権を天皇に返しただけでは収まらず、最終的には天皇を担ぎ上げた新政府軍と旧幕府軍が激突する鳥羽伏見の戦いを招いた。
これに勝利した新政府が以後の日本の舵取りをしていくことになるが、旧幕府残党やこれに与する諸藩の抵抗は戊辰戦争という形でしばらく続いた。
創作のヒント:江戸と一口で言っても
江戸時代は長い! 長いから、各時代ごとに雰囲気が違う。初期(綱吉の時代くらいまで)は「戦国時代の残り香」の話が似合う。動乱の時代に手柄を立てられないまま安定の時代になってくすぶってしまった虚しさは、バブルのあとを生きる私たちに結構重なる気がするのだが、どうだろう。
中期は太平、平和、だからこそ生きるのが難しい時代だ。庶民たちが芸術芸能商売に生きる話も、武士たちの間の陰湿ないじめや、次男坊三男坊が将来に挫折する話も面白い。
後期は時代がどんどん移り変わる中をどう生きるか、という話が似合う。