平安時代

コラム

公家の時代から武士の時代へ

 平安京への遷都で始まる平安時代には、藤原氏をはじめとする有力貴族が、天皇に自分の娘を嫁がせて摂政関白(天皇の補佐役)になろうとする政争が続いた。中でも成功者として知られるのが藤原道長である。
 また、この時代にはかつて禁止された土地の私的所用が再び進み、荘園という形で貴族や寺社が土地を持つようになった。人々はそこで働かされたわけだ。
 この頃、遣唐使が中止されている。唐が衰退の末に滅亡し、朝鮮が高麗によって統一されるという激動の時代の中で中止が決定された。ただ、やがて群雄割拠の中から北宋が立ち上がって世情が安定したこともあり、国家間の積極的外交はともかく、民間レベルの貿易交流は盛んにおこなわれたようだ。
 遣唐使の中止は文化にも影響を与え、それまでの中国文化をそのまま受け入れてよしとする傾向から、かみ砕いて自国のものにする国風文化が花開いた。

 平安時代の後半からは、後の主役となる武士が現れる。その出自は様々で、地方の荘園領主が土地争いの中で力をつけたり、朝廷に武官として仕えたことを始まりとしたりする。彼らを象徴とする事件として、関東で新皇・平将門が、西国で海賊・藤原純友が挙兵した承平天慶の乱がある。
 一方、中央の政治体制は院政へ移った。一度天皇の座を退いた人が上皇(法王)として政治の実権を取るもので、院は本来上皇の住処を示す言葉だった。その上皇の権力を支え、また院政を巡って起きた争いで活躍したのが武士たちの武力だったのだ。

創作のヒント:公家と武士

 この時代に注目するならやっぱり「公家社会」「武家社会」だろう。
 公家社会は権力と切っても切れない。平安時代の権力を得る道筋は「天皇に自分の娘を嫁がせて、子供を産ませて、退位させて、天皇の父親として政治を行う」ことだった。平和な時代は権威を担ぐのが一番ということで、シリーズの最初に紹介した話を思い出してほしい。
 武士の方はどうか。武士は多様なルーツを持つと言われている。昔から存在した「軍事を専門にする公家」や、「地方へ派遣された公家がいついてしまって力を持った」など。その中には「荒くれ者や犯罪者が取り立てられた」ケースも結構あった。つまり「人を傷つけられる」「戦場で落ち着いていられる」のは結構な特殊能力なので、犯罪者はその点ではエリートなのだ。これ、現代でもありそうな話ではないだろうか。

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