邪馬台国からヤマト政権へ?
弥生時代の後期から、あちこちに丘のように大きくて特別な形の墓が作られるようになった。古墳だ。作った人や勢力の力を示すモニュメントである。
このような大きなものが作れるというのは、つまり広い地域に巨大な力を持つ国家が誕生したことを意味する(近畿に巨大なものが多く、近畿中心であったと考えられている)。これをヤマト政権と呼び、現在の日本につながっていく。
卑弥呼の邪馬台国とヤマト政権に関係があったかどうかはよくわからない。ただ、邪馬台国が近畿にあったとすると、卑弥呼のもとに集まった国家連合がヤマト政権につながったと考えた方が自然ではないだろうか。
ヤマト政権は有力な豪族同士の勢力争いに揺れながらも継続した。中でも天皇家と深く結びついて発展したのが蘇我氏である。彼らは中国から渡ってきた仏教を支持したことでも知られる。
その蘇我氏と深い関係を持つ皇族の聖徳太子(厩戸皇子)は官位の整備、国家の方針である憲法の制定、仏教の布教などを精力的に行った。
特に、中国(隋)に使者(遣隋使)を送ったことは有名だ。この時の書状には大王(天皇)のことを中国の皇帝「日没する処の天子」に対する「日出(い)づる処の天子」として記してあり、日本が中国と対等ではなくとも独立した国家として対しようとしていたこと、またそれによって後述するような朝鮮諸国に優位に立とうしていたことがわかるとされる。
創作のヒント:モニュメント!
力を示すためのモニュメントを作る、というのは歴史上のあちこちで見られることであると同時に、世界設定のアイディアとして面白い。古墳以外に、どんなものを作ったら「力を示せる」だろうかと考えてみよう。古今東西を問わずよく作られたのは城だ。特に江戸時代の城は戦争用という意味合いをほぼ失っており、モニュメントだ。あなたの物語世界において、どんなものを作ったら「ここの王様はすげー」になるか、と想像してほしい。
また、このあたりの時代は史料が少なく、想像の余地が非常に多いので、聞くと呆気に取られてしまうような話がいくつも存在する。「日本人のルーツはユダヤ人と同じだ」「蘇我氏はユダヤ人だ」「厩戸皇子は厩で生まれている、つまりキリストだ……」などなど。信じるか信じないかはあなた次第、というには苦しいおもしろ話だが、刺激を受けるにはいいかもしれない。