原始日本の有様
日本の歴史は一般に原始・古代・中世・近世・近代・現代と区分される。
原始日本は日本列島に人々が住むようになった時代だ。氷河期の日本は北と南で大陸とつながっていたため、そこを通ってやってきた。
やがて氷河期が終わると日本は現在のような列島になり、自然環境も変わり、そこに住まう人間たちも生活を変えた。定住し、すばしっこい動物を弓矢で狩り、土器を作って煮炊きをするのがこの時代の特徴だ。厚手の土器に縄で模様をつけたことから、縄文時代と呼ぶ。
縄文時代の終わり頃から、田んぼを作って稲を育てるようになってきた。
米作り、金属製の道具、そして薄手の弥生土器を特徴にするのが弥生時代で、ここから古代日本が始まったと考えられている。
米と金属は中国大陸から渡ってきた人々が持ってきた。この頃、中国には既に優れた文化、大きな国家が誕生していたのだ。
当時の中国は古代国家殷、それに続く周の時代を経て、いくつもの小国が争う春秋戦国時代に入っていた。この戦乱を避けて日本へ流れてきた人々が大陸の技術を持ち込んだのではないかと考えられている。
田んぼを耕して作物を作るようになると、水や土地の確保が重要になる。また、作物をたくさん蓄えて力を持つものも現れるようになる。結果、あちこちに小さな国が現れて、争うようになった。
有名なのが巫女女王卑弥呼をトップにした邪馬台国だ。いくつもの国を束ねて大きな国家にしたといい、中国の歴史書(「三国志」で有名な魏の「魏志倭人伝」)にもそのことが書いてあるが、どこにあったかはよくわからない。九州とも、近畿ともいう。また、この連合は卑弥呼の死で崩壊し、娘の壱与を立てて再統一したとされる。
創作のヒント:安定から創世へ
縄文から弥生時代は、長い安定から新しい何かが生まれようとしている時代だ、ということに注目してほしい。
こういう時期はどうしても混乱する。それは「大きな国を作ろうとする奴らが、他の人々を攻撃して吸収して回る」ということであったり、「新しい考え方や技術を見つけてしまったがゆえに嫌われたり、憎まれたり、命を狙われたりする(新しいというのはそれだけで不気味なものだ)。どっちのパターンでも、ドラマチックな物語が作れそうだ。