第38回「相撲の話――武士の相撲と江戸相撲」

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武士が愛した相撲

相撲節会の伝統が絶えたのは、朝廷公家の力が衰えるようになったからだが、それで相撲の人気が落ちたわけではない。むしろ、時代の主役になった武士たちは武術の訓練として相撲を好み、また各地で見世物としての相撲も行われるようになった。現代の格闘技・スポーツとしての相撲への一歩がここで踏み出されたのだと考えていいだろう。
この頃、まだ土俵は生まれていない。しかし、儀式としてはともかく、武術として、あるいはスポーツ・試合としては都合が悪かったのだろう。そこで、組み合う力士を見物人が囲むようになった。これを人方屋といい、そこに押し倒された力士は負けとなった。
戦国時代の名のある武将たちの中にも相撲を好んだ者は多く、織田信長は相撲奉行を設けたというから、その筆頭と考えていいだろう。

江戸相撲と土俵の誕生

やがて天下太平の江戸時代になると、職業としての相撲取りが現れ、各地で儀式半分お金集め半分の勧進相撲を行うようになる。また、盛り場では辻相撲が行われて投げ銭が飛び、大いに賑わった。やがて江戸、京都、大坂で定期的に相撲が行われるようになり、中でも江戸相撲がその中心地とみなされるようになっていく。この江戸相撲こそが現代の大相撲の直接的な先祖である。
人方屋はトラブルが多かったので土俵に変わったのがまさにこの江戸時代のことだった。他にもほとんど現代と変わらないようになって行くのだが、違いがいくつか。
たとえば、この頃の力士は「一年を二十日で暮らすよい男」と呼ばれた。それは、相撲が年に二回、春秋しかやっていなかったからだ。各10日であったからそのように言われたわけだが、実際には地方巡業もあったし、自分たちのスポンサーである大名家との関係もあって、そんなに余裕はなかったようだ。
また、階級は「大関」までで、「横綱」はいなかった。大関の中の特にすぐれた力士が横綱をつける免許をもらった……というのが、やがて階級としての横綱になっていくのだ。

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。

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