『蜜柑』―人が優しくなれるとき

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

芥川龍之介・作『蜜柑』

〈あらすじ〉
 私は陰鬱な気持ちで、二等車両で汽車の出発を待っていた。そこへ小汚い身なりの少女が三等車両の切符を握りしめて乗り込んでくる。私は不快な気持ちになったが、やがてまどろんだ。
 しばらくして目を覚ました私は、少女がいつの間にか隣におり、必死で窓を開けようとしているのに気づく。トンネルに入ると同時にやっと窓が開き、煙が車内に入り込んでくる。もとよりのどを痛めていた私は不快感を高まらせる。
 汽車がトンネルを抜けて町はずれの踏切に差し掛かる。窓の外に3人の少年が見送りにきており、少女は彼らに蜜柑を投げてやる。これから奉公に行くであろう少女と、それを見送りに来た弟たち、それをねぎらうために投げられた蜜柑。それを見て、私は始めて、疲労と倦怠と退屈な人生をわずかに忘れることができた。

香りとは人の記憶を呼び起こすそうです

 本日取り上げるのは芥川龍之介・作『蜜柑』。
 果物がタイトルとなっている作品として有名どころでは梶井基次郎の『檸檬』もありますが、こちらは毎度おなじみ、弊社の『文学で「学ぶ/身につく/力がつく」創作メソッド』(DBジャパン)に掲載されておりますので今回は『蜜柑』にしました。ご興味があれば上記の本もお手に取ってみてくださいね!(もちろん自社本の以下略!)
 さてみかんですが、我々日本人にとっては冬の定番中の定番果物。籐かごなんかに入ってこたつの上に置かれていませんでしたか? ちゃんちゃんこ着てこたつに足を突っ込み、ぼーっとしながら食べる。うん、冬によくある光景です。
 え? 発想が昭和? ……田舎育ちですから……。あと個人的に学生時代、寮の先輩にみかん農家のお嬢さんがいらして、冬に大量におすそ分けをいただいたのもいい思い出です。
 みかんを知らない日本人はいないでしょう。「みかん」と見るだけで、その甘酸っぱく、オレンジほどには鋭くないみかん特有の香りも思い出す。こっちは甘くて、こっちのはちょっと酸っぱくて、同じ味は一つもなくて、それも相まってついつい次のみかんも剥いてしまったりして。ほら、唾が出てきたでしょう?
 と、言いつつ。タイトルとなっているものが物語の大部分で登場するとも限らないのが、フィクションの面白いところかもしれません。あらすじにもあるように、みかんは作品の最後でちらっと登場するアイテムというだけで、それまでみかんの「み」の字ほどの気配もありません。
 けれど主人公にとって印象深いアイテムとなったわけで、だからこそタイトルになったのでしょうね。思えば『檸檬』もそうかもしれません。二つの作品は両方ともさほど長くないので、気になった方はぜひぜひ読んでみてください。

ほっこりする話かと思いきや

 ノスタルジックな今作ですが、そんな気分を正直台無しにしちゃうことをこれから言います。…………うん、これが私の作品の楽しみ方だったので、書いちゃいます。注意書きはしましたので、あとのことは自己責任でお願いしますね!
 この『蜜柑』は主人公の視点で書かれる少女の物語として捉える人もいるのではないかと思います。けれど私はあくまで主人公が陰鬱とした気持ちを抱え、それが少し晴れる物語として読みました。そうすると悲しいかな、「他者に優しい気持ちを抱くには理由が要る」という人間の身勝手さが浮き彫りになっているように感じたのです。
 働けるとはいえ、少女というべき年齢の女の子が働きに出なくてはならない貧しい家庭環境。身なりが汚いのも納得ですし、三等車両の切符で二等車両に乗ってしまったのも、おそらく電車に乗りなれていないがための間違いでしょう。その少女に対して親切に教えてやるでもなく、主人公は不快感を募らせます。
 主人公はひどい人でしょうか。残念ながら、私にはそう思えません。身なりの汚い子供が間違った席に、しかも自分のすぐそばに乗り込んできて、少しも不快に思わない自信がありません。私が人間として狭量なのでしょうか。「そうだ」と即答する人ばかりであったなら、もっと世界は優しいんだろうなと思います。
 性善説か性悪説かを語るつもりはありません。貧富を語るつもりもありません。不潔であり車両を間違えている少女に対して、主人公の反応はもっともなものです。むしろいきなり罵倒などしないだけ、紳士的かもしれません。

結局主人公はなぜ安らげたのか

 少女と見送りに来た弟たちの姿を見て、主人公は人生に抱いていた陰鬱な気持ちをわずかでも忘れることができました。なにが主人公に訴えかけたのでしょうか?
 少女に不快感を覚えたのは、誰にとっても仕方のないことでしょう。とはいえ、主人公は最初から不機嫌というか、鬱屈したものを抱えていました。 それをわずかにでも忘れることができた理由。あなたは説明できますか? こんな記事を書いていながら、私には正直自信がありません。もしかしたら姉と弟たちの絆が温かい気持ちにさせたのかもしれませんし、あるいはこれから一人働きにいかなければならない少女の孤独(不幸)の気配に気分をよくしたのかもしれません。そのどれでもないのかもしれません。私が最初に感じた印象はおそらく前者に近いものなのですが、「はて」と立ち止まってみるとわからなくなりました。それこそが『蜜柑』を味わう醍醐味なのではないでしょうか。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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