夏目漱石・作『こゝろ』
〈あらすじ〉「下、先生と遺書」
乃木大将の殉死を受けて自らも自殺の意を固めた先生は、時が来たら過去を話すという「私(わたくし)」との約束を果たすため、死ぬ前に長い自伝を書いたのだった。
先生は若くして両親を相次いで亡くした。その後故郷を離れて東京の高等学校に入った先生は、両親の遺した財産の管理を叔父に任せていた。だが叔父がそれを誤魔化していたことが発覚する。先生は遺産を換金し、叔父と絶縁し、故郷には二度と帰らない決意をする。
大学に入った先生は、手にした金を元に、騒々しい下宿を出ることを決める。家を構えようと探していた先生は、縁あって軍人の未亡人の家に下宿することになる。その家には女学校に通うお嬢さんという娘があり、先生はお嬢さんに恋をする。
先生にはKという親友があった。Kの養家は医者だったが、Kは医師になるつもりがなく、大学でも別の分野の勉強をしていた。それがばれて勘当されたKは生活苦となり、見かねた先生は未亡人の反対を押し切って下宿にKを引き取る。
ともに過ごすうち、Kからお嬢さんへの恋心を告白される。ショックを受けた先生は、Kを出し抜く形で未亡人にお嬢さんとの結婚を申し込み、承諾を得る。だが先生はそれをKに打ち明けられずにいた。
Kは未亡人より、先生がお嬢さんと結婚することを聞き知る。それを知った先生はKに話をしようと決意するが、その晩、Kは自殺してしまう。
その後先生はお嬢さんと結婚するが、その幸せには影がつきまとった。Kとの秘密をお嬢さんに打ち明けることもできず、誰よりも自分という人間に愛想を尽かしてしまう。
そうして明治という時代を生きた先生は、明治天皇の崩御にあたり、明治という精神に殉死することを考え出す。そんな中で乃木大将が殉死し、先生はついに自殺を決意する。
人間って複雑なんです。
今回も「下」だけだというのにあらすじが長くなってしまいました。『こゝろ』は大好きな作品なのですが、どうもまとめようとしても簡単にはまとめられないのです。私の文才のなさはご容赦いただきたいのですけれど……それとは別に、それだけに複雑な人間の心が描かれているのだとも思うのです。
複雑といっても「わからない」という意味とは少々違う気がします。人間は不思議なもので、相反する感情を同時に抱くことがあります。たとえばダイエットをしたいからお菓子を控えたいのに食べたいだとか、運動をしたいけれど面倒で怠けてしまうとか。何かをする理由も一つではありません。様々な要素が複雑に絡み合って、その行動や感情につながる。
『こゝろ』という作品は非常にそれに優れている小説といえるのではないでしょうか。だからこそ、あらすじにどこまで書いたものやら、迷ってしまうのです。幸い(?)この連載はウェブページ上のものですから、紙の媒体と違って文章量が自由なので(いえまあ、ある程度の目安というものはあるんでしょうが……気にしてませんが……ごにょごにょ)、……好きなだけ書いちゃうよね!(上司の目が見れません)
あらすじにまとめるということは大変勉強にもなりますので、上記のものが「長ぇな」と思ったそこのあなたはぜひご自分の言葉で書いてみてくださいね!(「最初から狙ってました」みたいなフリすな)
人間を信用しない「先生」の作り方
「下、先生と遺書」はその章タイトルの通り「先生」の遺書です。「上」「中」の「私(わたくし)」の視点や言葉は一切登場しません。そのため「下」における「私」とは「先生」のことです。ちょっとややこしい? この点に関しては、かえってこういう解説文の方がややこしくなってしまうかもしれませんね。実際にはスムーズに読めるので、人称や人物の呼称に対しての混乱はほぼないはずです。安心してください。
『こゝろ』という作品が取り上げられる際、どうしても「先生」と「K」の過去がクローズアップされます。それだけ見ると「先生」と「私」や、「先生」と叔父の話などは蛇足的に見えるのかもしれません。正直私も、「先生」と「K」の過去の印象が強くて、読み返すまでそれ以外の部分について記憶はあやふやでしたから。ぶっちゃけ叔父さんのことは忘れ……げふんげふん。
ですが肝心なのは、「上」「中」における「人間に愛想を尽かした先生」が出来上がったのは、何も「K」の自殺事件に限らないということです。
もしかしたら「下」だけでも物語として成立するのかもしれません。けれど「上」「中」を経て明かされた「下」が、さらに物語を深めています。「先生」の親友が突然死んだことは、すでに「上」で語られています。突然死と聞くと、「自殺」を予想していた読者も多いでしょう。親友の自殺とは確かに大事件です。けれど話はそう単純でないことがようやく明かされるのです。
この章では「先生」の過去が遺書という形で明かされます。そうすると「私」と話すときの「先生」が、とても人間臭く思われました。最初は「先生」が世間を捨てたような、少々浮世離れした人のように感じていたのに。
初めて読んだとき、「私」と「先生」のやりとりだけでは理解しきれないことも多々ありました。当然です。「先生」はまだすべてを語ってはいないのですから。けれど遺書を読んだあとで「上」「中」(特に「上」)を読み返すと、「K」を思い出しているのか、叔父の裏切りに傷ついているのか。そんなことを感じます。
Kはなぜ自殺したのか
「K」は「先生」の裏切りによって自殺したのでしょうか。そう思う人もいるでしょう。けれど私は……いえ、作中の「私」ではなくこの記事の書き手であるところの私は(ややこしいな)、少し違うと思うのです。
確かに最後の打撃を与えたのは「先生」かもしれません。けれど「K」は、恋をしたこと自体に悩んでいました。「K」の求める「道」のためには、恋は障害であると「K」は感じていたのです。むしろ恋をしてしまった自分を恥じているようでもあります。
「先生」とお嬢さんとの結婚を知ってすぐ自殺したのはなぜでしょう。自殺を決意したのはいつだったのでしょう。
ここからは私の勝手な妄想です。異論も大いに認めましょう。
「K」は「先生」に恋心を打ち明けたのち「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」という言葉をもらいます。それはかつて「K」が自分で言った言葉でした。そして「先生」はそれが「K」を最も攻撃する言葉であることを知っていました。ただ「先生」は「K」の恋心を諦めさせようとしただけです。親友とお嬢さんを争いたくなかっただけです。
この言葉が「K」に自殺を決意させたようにも見えるでしょう。ですが私は、「K」はこのときすでに自殺を考えていたように思うのです。それが時間が経つにつれ、徐々に「K」の自殺への願望が強まっていったのではないでしょうか。
そうなると、「K」にとって問題はもはやいつ自殺するかということです。そして「先生」とお嬢さんの婚約が決め手となったのではないでしょうか。「K」にとっても「先生」は親友です。婚約を知って絶望したのかもしれません。あるいは、親友の婚約を素直に喜んだのかもしれません。先に恋心を打ち明けて、親友が悩まなかったはずはないと後悔したかもしれません。
私の妄想です。答えはおそらく出ません。ですが私は、「K」は人生に絶望しても「先生」という親友に絶望してはいなかったのだと信じたいのです。
「先生」はなぜ今自殺したのか
手紙の中で「先生」は「私」に「あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかもしれませんが(本文より抜粋)」と書いています。正直私は今もわかりません。いえ、「私」じゃなくてこれを書いている私がです(ややこしいな(2回目))。
「K」の死後、「先生」は自殺を考えなかったわけではありませんでした。けれど奥さん(上記のあらすじの中での「お嬢さん」)のために踏みとどまっていたのです。「先生」と奥さんは恋愛結婚といえます。互いに望んで婚約したのです。たとえ「先生」が「K」を出し抜いたのだとしても、「K」の死さえなければ、きっとのちに笑い話にできた幸せな結婚だったはずなのです。実際幸せだったと「先生」は語っています。
それがなぜ、明治という時代に殉死しようなどと思ったのか。「先生」は死ぬ理由を探しながら生きていたのかもしれません。「殉死」という言葉は、奥さんが冗談で言った言葉でした。もしかしたら、生きる理由となっていた奥さんから「殉死」という言葉を偶然にも引き出したことで、死ぬ理由を得たのかもしれません。
奥さんが「先生」の死後どうなったのかも、よくわかりません。そして奥さんは「先生」が「私」に打ち明けた秘密は知らないはずなのです。とすると、「なぜ」を抱えながらこの先生きていくことになるでしょう。こんな残酷な離別があるでしょうか。奥さんのために死を思いとどまる愛情があったのに、残される奥さんのことを、実はなにもわかっていない。そんな風に感じました。
私はどうしても、女性側の立場に立ってしまいますね。偏った意見であるのは承知しておりますので(だって楽しみ方は自由だし!)、皆さんも皆さんなりの感想を自由に持ってください。
私は秘密を抱えて生きていく
遺書を託された「私」は、この後どう生きていったのでしょうか。「私」と「先生」は親友とも言えるような、けれどただの知人に過ぎないような、不思議な関係に思えるのです。
「上」「中」を読んだ時点では、年の差のある親友くらいに思っていました。いえ、「下」の大半を読んでもそうです。奥さんにすら黙っていた秘密を打ち上げる相手として「私」は選ばれたのですから。奥さんだからこそ、一番言えない秘密ではあったでしょう。けれどだからといってほいほい他人に話せるものでもありません。例えば旅先で出会ってもう二度と会わない他人ならわかりませんが。
そして遺された「私」はどう思って生きていくのでしょう。
「始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたと一緒に郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです、私の後ろにはいつでも黒い影が括ッ付いていました。」(本文より)
遺書の終わりの方で、「先生」はこう書いています。「気分に大した変りはなかった」のは「黒い影」が付きまとっていたことだろうとは思います。けれど「私」と出会ったこともともに過ごしたことも、「先生」に大した喜びや楽しみを与えなかったのだとしたら。何年も親しくしていた間柄としては、悔しいに違いありません。
それに「先生」は自殺を決意しても、「私」との「過去を話す」という約束だけは果たそうとしました。直接話せなかったとはいえ、何日もかけて自叙伝を書き残しました。もちろん手書きですから、現代よりずっと大変な労力がかかったはずです。
そのために何日も自殺の日を延ばせるほどの間柄でありながらも、事前に悩みや苦しみを打ち明けてもらえる存在ではなかった。もし私(筆者)が「私」だったなら、一生後悔を抱えて生きていくでしょう。
「私」と「先生」と奥さん。あるいは「K」も。『こゝろ』は「後悔」の物語なのかもしれません。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。