夏目漱石・作『こゝろ』
〈あらすじ〉「上、先生と私」
明治の時代、書生である「私(わたくし)」は、夏の鎌倉の海で一人の男性に出逢う。外国人を伴っていた男性に興味をひかれた私は、何度か同じ時間に浜を訪れ、その男性と親しくなることに成功する。私は男性を「先生」と呼んで慕う。互いに東京から旅行に来ており、東京に戻ったあとも先生の家に通って交流する。
先生は仕事をしておらず、家には奥さんと下女のみで、つつましく暮らしていた。私は先生が月に一度、亡き親友の墓参りに出かけていることを知る。
先生と奥さんは仲の良い夫婦であったが、奥さんは先生のことを少し誤解しており、それが元で夫婦はたまに喧嘩をしていた。先生は私にも奥さんにも何か秘密があるようだったが、それを決して明かそうとはしなかった。その秘密ゆえか、先生は人間を信用しておらず、仕事も持たず積極的に世間に係わることもしていなかった。先生は私に「恋は罪悪であり、そして神聖なものである」と語る。
私はなぜ先生が人間を信用せず世間と隔絶した人間になったのか興味を持つ。そしていつか時がきたら話すことを先生は私に約束する。その時が来ないまま私は大学を卒業し、一時故郷に帰ることになる。
「私」は「わたし」ではなく「わたくし」
夏目漱石・作『こゝろ』。この作品は朝日新聞で連載され、のちに漱石自身による装丁で出版されました。少々長い作品のため、記事も何回かに分けてしまおうと思います。
『こころ』は三部構成となっています。
上、先生と私
中、両親と私
下、先生と遺書
そしてこの作品の主要登場人物は
・私(わたくし)
・先生
・先生の妻
・K
の四人です。
この作品の登場人物たちは、ほとんど名が明かされません。私が初めてこの作品に触れたのは高校生のときでしたが、名前が明かされないというのは当時の私にはなんだか不思議な感覚で、名前による先入観やキャラクターへのイメージというものは薄かったように思います。
人物の話をする前に、人称の話をさせてください。主人公の「私」は「わたくし」と読みます。現代では「私」を「わたし」と読む場合が多く、私(筆者)が一人称として使っている「私」も「わたし」のつもりで書いています。
が、当時はむしろ「わたくし」と読むのが通常でした。「わたし」という一人称は少なくとも近世(江戸時代以降)の女性に使われていたようですが、「私」を「わたし」と読むことはありませんでした。「私」=「わたくし」が割と近年までスタンダードだったようです。
学生時代、毎回感想を提出しなければならない講義がありました。その次の講義のときに講師の先生がいくつか読み上げるのですが、その先生も「私」を「わたくし」と読む方でした。私の学生時代ではすでに「私」は「わたし」がスタンダードだったので、感想を読まれた学生は「そんなお上品な書き方したつもりないんですが」とちょっとそわそわしたものです。おじいちゃん先生でしたが、それでもせいぜい昭和生まれの方でしたでしょうし、「私」=「わたし」はむしろ新しい読み方なのだとわかりますよね。
日本にはたくさんの一人称があります。「わたし」は現代ではかなり一般的に男女問わず使われていますが、近世では女性の人称でした。ほかにも、「拙者」「それがし」「俺」「僕」「あたし」……エトセトラ。時代によっても違いますが、性別や身分、職業を限定するような人称も多いですので、キャラクターメイキングにはこの使い分けが欠かせません。ひらがなとカタカナ、漢字でも印象が違いますから、日本の小説や漫画におけるこれらの印象って結構大きいですよね。
昨今では転生ものが流行っていますが、たとえば江戸時代の日本に転生した成人男性がついうっかり「わたし」とか言っちゃって変な目で見られる……なんてシーンがあるとリアリティが増すかもしれません。あ、これじゃあ転生じゃなくてタイムスリップですね。失敬失敬。
「先生」は教師ではありません。
作品の冒頭で「私」も述べていますが、「先生」は「私」が勝手に呼んでいただけで、教師ではありません。むしろ無職です。奥さんと二人(下女を入れて三人?)、つつましく暮らしていけるくらいにはお金があり、大学を卒業したあとも学問を続けているようです。その専門分野は明かされません。「私」も何を勉強していたのかはわかりませんが、二人の専門はおそらく違っています。大きな分野は近いのかもしれません。
とはいえ「私」と「先生」の関係は師弟というものとも違うでしょう。「先生」には字のごとく「先に生まれたもの・年長者」という意味があります。「私」は年長者である「先生」を敬ってそう呼んでいたのかもしれません。あるいは「学者」という意味に用いたのでしょうか。
私が『こゝろ』に初めて触れたのは高校生の頃でした。教師でない人が「先生」と呼ばれるのも当時の私には実感が湧かず、なんとなく年上の立派な人なんだろうと読み進めました。その当時の私にとって「先生(教師)」といえばおじさん(おばさん)。いえその、20~30代の先生ってほとんどいなかったですし、私も10代だったので……。こほん。
作中の「先生」夫婦も「若い時」などという表現も使うものですから、なんとなく40~50代くらいかと思っていました。
ですが、私のその予想は大きく外れています。その当時は知らなかったのですが、この作品は明治という時代の時事が織り交ぜられているため、「先生」のおおよその年齢を計算することができるのだそうです。それによると中~下の時点で「先生」は33~35歳。若い読者にはどう感じられるかわかりませんが、私は「うん、若い。」と思いました。今の私とそんなに年変わらんやんけ……。(2020年現在)
もちろん、明治時代のアラサーと令和のアラサーではそもそもの感覚が違うでしょう。けれどそれを踏まえて読んだとしても、やはり先生の抱える影がそうさせるのか、30代にしては老け込んでいるように感じるのです。「先生」は世間を避けて生きている、いわば世捨て人です。そのために50代くらいの人と勘違いしてしまったのでしょうか。「人間に愛想が尽きた」と世間を避ける「先生」が、なぜそうなってしまったのか、これは「下、先生と遺書」で語られます。それまでわからないことだらけですが、ただフラグとでも言いますか、細かな情報はちりばめられています。
「先生」を取り巻く人々
そんな「先生」の妻である「奥さん」は、とても美人さんです。人間に愛想が尽きたという「先生」ですが、夫婦仲はむしろ良いようです。当時はかならずしも恋愛結婚ではないでしょうが、夫婦間に愛情があるのもよくわかります。
けれど「先生」は「奥さん」にさえ、自分の抱えている「影」の正体を話していません。「奥さん」は妻の自分にさえ心を開かない夫の愛情を疑うシーンもあります。それは夫婦の間だからこその勘違いでしょうか。はたから見ると決して浮気など考えられないカップルでも、当人たちは疑ってしまうというのはまあまあ聞く話だと思います。恋は盲目、はこういう場でも発揮されるのですかね(アラサー独身談)。
そして「K」は主要人物と呼んでいいものか、少々迷います。彼が登場するのは「下、先生と遺書」のみ。「K」は故人で、「先生」が毎月墓参りに出かけているかつての親友です。「先生」の遺書である下、つまり回想の中にしか登場しない人物です。
とはいえ「K」は現在の、人間に愛想の尽きた「先生」を作る上で非常に重要な役割を持っています。やはり主要人物と呼ぶべきでしょう。
かえって主人公の「私」の紹介が薄くなってしまいましたが、それは次の機会にいたしましょう。「上、先生と私」のお話ができていないような気もしますが(うん、気のせいじゃないね)、それは実際に読んでいただけると幸いです。文学案内記事の意味とは……と思ったあなた、登場人物の解説だって立派な案内でしてよ!
というのも言い訳ではなく(ほんまか?)、『こゝろ』と題されている通り、この作品は登場人物たちの心情やそれによる関係性が巧みに描かれた作品です。もちろんその原因として事件が描かれるわけですが、大事なのはむしろそれによる心の変遷でしょう。ですので人物を知るということは、『こゝろ』の紹介としてとても意義のあることだと思うのです。 長編ですので、物理的に少々時間のかかる作品ではありますが、読み始めるときっと気にならなくなるでしょう。ぜひ、次回の更新を待たずに読みたくなっていただけると嬉しいです。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。