小泉八雲―ロマンス小説のモデルになってください!

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

小泉八雲 本名:ラフカディオ・ハーン

 小泉八雲という明治の日本で活躍した作家の名前を、聞いたことがあるという方も多いでしょう。文豪を題材にした近年のエンタメ作品にも登場しますしね。しかし彼が実は外国人で、さらに日本語はほとんど話せなかったということを知っている人は、どのくらいいるでしょうか。
 彼の本名はラフカディオ・ハーン。小泉八雲とは日本での名前なのです。日本で最初に勤めた中学校や奥さんからは「ヘルンさん」と呼ばれていたそうです。日本人が外国人の名前を聞き取れない&発音できないための呼び名だと思われますが、奥さんから特有の愛称で呼ばれるってなんかきゅんとしませんか?(お前の趣味はどうでもいい)
 あ、彼の名前についてはややこしいので、この記事では「小泉八雲」または「八雲」で統一します。
 八雲はギリシャで生まれ、アイルランド、アメリカへと移り住みました。アメリカでは出版社に勤めるなどして文筆業を始め、その才能が認められていきます。彼はアメリカで結婚もしましたが、離婚。そうしていくつかの国へ取材旅行をしたあと、1890年、40歳のときに来日しました。
 日本に来た八雲は島根県で英語教師として働き始めます。そのとき八雲の身の回りの世話をするために雇われたのが小泉節子(セツ)でした。彼女がのちの小泉八雲の妻となる女性なのですが、「小泉」は奥さんの姓だったのですね。八雲は節子との間に三男一女をもうけています。
 八雲は節子とともに日本各地を訪れます。帝国大学、現在の東京大学の英語教師も務めました。日本の怪談に取材した小説や、日本を海外に広めるための著作も多数執筆しました。

左目を撮られたくない

 私は学生時代、友人たちと島根県を旅行しました。旅のメインはもちろん出雲大社。文学を学んでいたというのに、小泉八雲が外国人だったということすら知らない不真面目学生だった私は、友人たちに連れられて島根県は松江市の小泉八雲旧居を訪れました。松江市は来日した八雲が初めて住んだ場所です。八雲は日本でも何度か居を移しています。ですが残念ながら、当時の建物が残っているのはこの松江市のものだけだそうです。
 なにぶん何年も前のことなので記憶が不確かなのですが、旧居に掲示された解説にこんなことが書かれていました。
 八雲は16歳のころに負った怪我のせいで、左目を失明していました。見えないだけでなく、障害が一目でわかるような特徴があったようです。そのため自分の左側から写真を撮られるのをひどく嫌っていたそうで、右の横顔のみが写る構図や、左目を隠すようなポーズでの写真が多いというのです。
 今になって検索してみたところ、確かに、右の横顔の写真が異常に多い。コンプレックスを隠したいのは、いつの時代も男女問わず同じ気持ちなのでしょうね。私としては片目を負傷(?)しているというのは、中二心が大変くすぐられるのですけれど。
 生活の上での支障もあったでしょうし、不謹慎でしたね。失礼しました。

夫婦だけの秘密の言葉?

 小泉八雲は亡くなるまでの十数年を日本で過ごしました。前述の通り日本人の奥さんもいます。
 ですが彼、実は日本語がほとんどできなかったというのです。「えっ」と驚かれた方も多いでしょう。小泉八雲といえば日本の怪談に取材し、作品を書いたことでも有名ですから。実は皆さんが知っている小泉八雲の怪談はすべて翻訳された作品。彼の著作はすべて英語でした。まあ、初めて来日したときの八雲はすでに40歳でしたから、その年齢から日本語を習得するのは難しかったのでしょうか。日本語は難解な言語ですし。本当、日本人でよかった。え? 私の英語の成績は……(目をそらす)。わ、私の話はいいんです! 
 では小泉夫妻はコミュニケーションをどうしていたのでしょうか。実は節子さんが英語を猛特訓したとか? いえ、それもどうやら違うようなのです。
 この夫婦、互いの言語はあまり理解できていませんでした。なのにコミュニケーションは取れていたというのです。これには彼らの子供たちも首をかしげたとか。
 現代日本でも某芸人さんがほとんど日本語のような「なんちゃって英語」で、それでもなぜか意思疎通をしてしまうということが話題になりました。これと似たようなことが小泉夫妻の間でも行われていたのでしょうか。小泉八雲の執筆には節子の多大なる助けがあったそうです。言語の壁を越えて、夫婦として共に生活するというのはなんだかロマンス小説のようですよね。うらやま……いえ、美しい愛情の形です。

日本に帰化し、日本に没する

 当時、日本在住の外国人が日本人女性を妻にすることは珍しくありませんでした。様々なことが現代と違いますから、当然子供ができることだってあります。けれど小泉夫妻のように言葉の壁は当然ある。夫婦(男女)間のコミュニケーションがなんとかなったとしても、日本人女性が異国で生活するハードルは相当なものでしょう。言葉だけでなく、衣食住の文化の差は、現代よりもよほどあったでしょうから。そのため帰国の際に日本人妻を伴うことはなく、帰国後は経済的に支援する、というのがこうした国際カップルのパターンでした。
 けれど八雲は節子の妊娠をきっかけに、日本への帰化を考え始めます。周囲は帰国して経済支援をすることを八雲に勧めたようですが、八雲は帰化し、節子とともに生きることを選ぶのです。実は八雲の両親も異民族同士での結婚で、離婚していました。八雲自身、アメリカ時代に離婚を経験しています。節子とともに日本で生きる決意をした彼の心境は、どんなものだったのでしょうか。作家こそ物語の主人公っぽいとたびたび書いてきましたが、小泉八雲と節子の夫婦模様も、小説が一本といわず何本か書けそうですよね。
 以前、森鴎外の『舞姫』を取り上げました。あらすじは端折りますが、主人公の豊太郎は自分の子を身ごもった恋人のエリスを見捨てて日本へ帰国してしまうのです。嗚呼、豊太郎とはえらい違い(拍手)。
 そして小泉夫妻は結構な年の差カップルでした。八雲誕生が1850年、節子が1868年生まれですから、なんと18歳差。いやもうほんと、どこのハーレクイン設定……。しまった、『舞姫』より小泉夫妻にこの言葉を使えばよかった!(後悔先に立たずとはこのこと)
 八雲は54歳の若さで、心臓発作によって急死します。本当に、つくづくドラマティックな人生ですよね。節子は36歳で未亡人となってしまうわけです。30代半ばだなんて、女性としてまだまだこれからというときだのに……。  この二人をモデルにした小説できゅんきゅんしたい! と思ったのは私だけでしょうか。ていうか小説に限らず、作品はもうありそうですよね。探そ……。気になった方も探してみてくださいね。もし好みの作品が見つからないのであれば、ぜひ創作に生かしてください。ここに「読みたい」と思っている読者がひとりいますよ!

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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