紫式部―千年才女は地獄へ堕ちた

粟江都萌子のクリエイター志望者に送るやさしい文学案内

不朽すぎる千年の名作『源氏物語』の作者

 時代を超えて語り継がれる名作を「不朽の名作」と呼ぶのは言うまでもないことですが、それにしても『源氏物語』は「不朽すぎる」と私は思います。なにしろ千年を越えているのですから。
 それでいうと『源氏物語』よりもさらに時代を遡る『竹取物語』や『伊勢物語』なども「不朽すぎる」ファミリーの一員なのですが、いずれも作者は不明。世界最古の長編小説と呼ばれ、二十一世紀の現代でもなおメディアミックスが行われる『源氏物語』は幸いなことに作者が判明しています。言わずと知れたその女性の呼び名は紫式部(むらさきしきぶ)。女性の地位など現代よりよほど劣る時代、本名もわかっていない彼女が現代まで語り継がれるということがどれほど凄いことなのか、想像しても足りないくらいでしょう。
 ん? 「作者などわからずとも素晴らしいものは素晴らしいんじゃい!」? ええ、そうでしょうとも。けれどその一人の女性の生き方すら、創作の糧になると思うのです。ていうか女性の教育が盛んでない時代に兄弟よりも優秀な頭脳を持ち、時の権力者に召喚されて書いた物語が千年を超える不朽すぎる名作になり、彼女の作品のおかげで主人が国母(天皇の母)になるなんて、どこの世界の主人公ですか! ……日本だ。
 そんなわけで、このコラムでは日本で最も有名な女性の一人である紫式部のお話を少ししたいと思います。「千年を超えて語り継がれる~」と何度も言うのは面倒なので、「千年才女」とでも呼びましょうか。ますます主人公感が増すな。

お札になった才女

 お札の女性といえば樋口一葉、あるいは津田梅子を思い浮かべるでしょうか。ですがもう一人忘れてはいけないのが千年才女こと紫式部なのです。
 実は2000年に発行された二千円紙幣の裏面に紫式部が描かれているのをご存じでしょうか。え。2000年ってことは、あれってもう二十年前のこと……なんですか? お若い読者の方にはそもそも二千円札を知らない人もいるかもしれませんね……。
 ちなみに表面には沖縄は首里城の守礼門が描かれており、そのため沖縄では積極的に流通しているそうですよ。少なくとも筆者が沖縄を旅行した2010年、お土産物屋さんでもらったおつりに二千円札が含まれていいました。……あれも十年前なのか。今はどうなんだろう。ぜひ現地に確かめに行きたいものですね!(現実逃避)

千年才女の人生

 先ほどどこの世界の主人公だ!? などと言いましたが、紫式部は本当にどこかの主人公のような人生を送ったのです。
 我らが千年才女は藤原一門の出身。藤原氏といえば藤原道長が盛り立てて栄華を極めたことで有名ですが、式部はまさにその道長の要請で彼の娘に仕え、『源氏物語』を執筆しました。
 幼い頃から兄弟をしのぐほど優秀だった式部は、二十代ごろに当時としては遅めの結婚・出産をしました。しかし夫に先立たれ、『源氏物語』の執筆を始めます。これは大人気作品となりました。
 そこに目をつけたのが藤原道長です。式部が娘・中宮彰子の元で『源氏物語』の続きを執筆すれば、物語読みたさに帝が通ってくる…というわけです。その思惑がはまってか、後に彰子は天皇となる男児を出産しています。え、『源氏物語』が次の天皇を生んだの? すごくない?
 紫式部が中宮への出仕を始めたのが結婚・出産を経た三十代ごろ。中宮彰子は式部より年下。三十代は当時の感覚では年増にあたるため、ポジション的には「ばあや」のようなものでしょうか。いやいや、三十代といえばまだまだ女盛り。平均寿命が現代より短いとはいえ早く老け込むわけでもないでしょうし、家庭教師のお姉さんくらいの立ち位置にしておいてほしいものですが……いいよね?
 優秀すぎた彼女は、女房仲間から嫌なあだ名をつけられてしまいます。そのため「千年才女」だというのに、式部は人前では漢字が読めないフリまでしていました。同僚の妬みはいつの時代も陰湿で嫌ですね。
 『源氏物語』を書き上げたのち、式部は宮中を辞したといわれています。式部の生涯は多くが謎に包まれていますが、わかっている事実を少し並べただけでも、彼女の人生ドラマチックすぎませんか。
 そして亡くなった後の極めつけのエピソードがあるのですが、それは次の項をどうぞ。

千年才女は地獄へ堕ちたのか

 さて、ここでようやくではありますが、表題へ話題を移しましょう。
 紫式部が『源氏物語』を執筆したことは日本だけではなく世界的にも有名な事かとは思いますが、その千年才女が地獄へ堕ちたとされているのはご存じでしょうか。
 私が京都で文学を学んでいた2009年。私は担任講師やクラスメイトらとともに京都散策に出かけました。そのとき連れて行ってもらったのが京都市は北区にある紫式部の墓所です。彼女の墓の隣にはもう一つ、小野篁(おののたかむら)の墓がありました。
 小野篁とは平安時代、紫式部よりも少し前の時代の役人で、六歌仙・小野小町の先祖。彼自身も優れた歌人だった上、生前から地獄の閻魔大王の補佐官を務めたという伝説がある人物です。現代のエンタメ作品にも登場することがあるので、「あ、知ってる」という読者もいらっしゃるでしょう。彼もまたかーなーりドラマティックな人生を送った人物ではあるのですが、ここでは割愛。
 その篁と紫式部がなぜ同じ場所に葬られているのか。それは紫式部が『源氏物語』を描いたために地獄に堕ちたとされているからです。「え!? 面白い作品書いたら地獄に堕ちんの!?」って思いますよね。そーなんです、だめだったんです。
 世界百科事典には紫式部の項に「狂言綺語の罪によって地獄に堕ちた」という文言があります。狂言綺語とは簡単に言うと詩歌や小説の中身がない言葉や文章のことを指します。つまり虚構を描いたから駄目ってことでしょうかね。
 平安時代、物語の文学的地位は低いものでした。低俗なものとして扱われていたのです。反対に和歌は重んじられていましたが、それは現実のものを美しい言葉で表現するものだからでしょうか。フィクションでも現実でも、「素晴らしい」「面白い」が正義では!? と鼻息荒く抗議したいものですが、千年前には届かないので諦めるしかありません。ちぇ。
 そんな社会でさえ人気を博し、天皇さえ楽しんでいた『源氏物語』は当時の人から見ても素晴らしい作品だったことは間違いないのですが、それを描いた紫式部は地獄に堕ちる。その価値観までは覆らなかったのでしょう。
 そこで登場するのが小野篁。地獄で補佐官をしていたという篁は、式部を救う存在なのです。篁の伝説の中に、病気で生死をさまよい臨死体験した同僚が、地獄での裁判で篁と出会ったというものがあります。篁は閻魔大王に「この人は良い人間だから現世に戻してください」と取りなし、同僚は無事生還できたのです。地獄へ堕ちた紫式部が少しでも救われるように、彼女は篁の隣に葬られたのです。
 実際に二人がそこへ葬られているのか、おそらく断定はされていないでしょう。学生時代、講師の先生は紫式部の墓をさして「紫式部が有名になっちゃったから、大きい方が式部ってことにしたんだよ」なんて仰っていましたし(そういう説があるらしい?)。
 ヒット作品を書いて地獄に堕ちるならば、是非堕ちたいものですよね。いや堕ちたくないけど(どっちやねん)。
 二人の墓所に興味がある方、京都へお越しの際は是非お立ち寄りください。金閣寺や北野天満宮も近い(?)ですよ!(学生時代の当方調べ)

作者が一番主人公っぽい

 結局これに尽きる気がします。――千年才女、あんたが一番主人公っぽい!
 超ヒット作書いて主人に(未来の)天皇生ませて地獄に堕ちるって、どんだけドラマティックっていうか、めちゃくちゃ中二的じゃありませんか。紫式部と聞くと古典、お堅い文学のイメージがあるような気がしますが、案外ライト文学に昇華できるような気がしてきました。『千年才女、転生先は地獄でした!?』なーんて小説出てこないかしら。……こほん。とまあ、私のセンスが迷子な話は置いといて。
 実際紫式部にフォーカスが当てられた作品もあるので、気になる方は探してみてくださいね。『源氏物語』については別の機会に書けたらと思います。

【執筆者紹介】粟江都萌子(あわえともこ)
2018年 榎本事務所に入社。
短期大学では国文学を学び、資料の検索・考証などを得意とする。
入社以前の2016年に弊社刊行の『ライトノベルのための日本文学で学ぶ創作術』(秀和システム)の編集・執筆に協力。

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