文字が読めず書けない人々
「いま」を生きる私たちにとって、文字を読めるというのはごく当たり前のことだ。もちろんこれは個人の事情と地域の事情にもよって、「読めない」人は「いま」でもたくさんいる。それは幼少期の環境によるものであったり、心身に抱える問題や病気のせいであったりするわけだ。
しかし「むかし」はそうではなかった。かつて、文字を読み、また書く能力は貴族や騎士のような特権階級のものであって、食糧生産に関わる農民・漁民・猟師といった庶民たちにとっては全く縁のないものだったのである。
実際、彼らの生活に文字は不要だったのだろう。作物をいかに育てるか、獲物のいる場所をいかに見出すかという生活のために必要な知識は、文字の力を借りずとも口承によって十分伝えられるからだ。あるいは真に重要なことーー時の経過を確認して食糧生産のために不可欠な暦などや、統治者からの命令や指示の伝達ーーは文字が読めなければわからない可能性もあるが、その場合も村長のような要職の人間が文字を理解できればそれで済む。
ちなみにこのような話をするときによく出て来るのは日本のケースで、特に江戸時代日本が識字率の高さで知られている。それを支えたのは都市にも村落にも存在した読み書き専門の私塾である寺子屋であり、結果として庶民が貸本屋で本を借りて読むことを趣味としたり、農民が農閑期に高度な数学問題を解くような現象を実現したわけだ。
ただ、この江戸時代識字率についても、きちんと調べてみると素直に受け取ってはいけない部分もあったらしい(読めて書けると判断されたうちかなりの部分が名前を書ける程度)ともいう。
文字を読めるということ
結局、ヨーロッパで(もしかしたら日本でも?)庶民が読み書きをできるようになる契機は、活版印刷が発明され、紙の大量生産ができるようになり、本や新聞が多くの人の手に入るようなものになってからのことであった。
そうして読み書きができるようになり、外の世界のことを知るようになった庶民が大きな動きを見せていくのが近代ともいえよう。それだけ「普通の人が文字を読めるか」は社会・世界のあり方にとって重要なのだが、一方であなたの物語にとって大きな意味を持たせるつもりがないならそこまで気にしないという手もある。なにしろ、私たちにとって「読み書きが出来る」のは当たり前のことなのだから、共感のために必要と思うのであれば良いだろう。

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。