未熟さは計算か本能か
上級生がいるなら、当然のことだが下級生もいる。いわゆる後輩だ。中学生あるいは高校生なら、二年生にとっては上級生も下級生も両方いることになる。そのような立場についたとき、あるものは中間管理職的な板挟みになるけれど、あるものは両方にいい顔をして漁夫の利を取ろうとする。
さて、下級生だ。その性質は、上級生のそれをきれいに反対にすればだいたい問題ない。1年2年の年齢の差は、10代の頃には非常に大きな差になる。上級生は後輩を見ると非常に幼く、頼りなく、「大丈夫かな」という気持ちになってしまいがちだ。結果として何かと世話を焼いたり、必要以上に大人ぶって振る舞ったり、ということがしばしばある(そしてそれが上級生の項で書いたような問題にもつながっていくわけだ)。
では、下級生本人の方はどうか。本当に文字通り幼いこともあるだろう。その幼さは「素直さ」「純真さ」「真っ直ぐさ」という形で表現されることは、もちろんある。いわば「子供らしい子供」のあり方だ。
しかし、かつて自分も子供だった、あるいは下級生だった経験のある皆さんはもしかしたら「それだけではない下級生」の自覚があるのではないか。つまり、下級生であること、幼いこと、守られることをうまいこと利用する下級生もいるのだ、ということだ。
そのような下級生は、もしかしたら計算でやっているのかもしれない。幼いふりをすることで他人が助けてくれることをわかっているケースだ。一方、本人は特に意識していないが、無意識の内に庇護されるひと、可愛がられるひとのロールができる下級生もいる。
さて、あなたの物語に登場する下級生はどちらだろうか。
後輩は己の鏡
先輩の立場で後輩を見ると、教え、導かなければいけないから厄介だ、面倒くさい、ということも多いだろう。ところが、「教える」ということが本人の成長につながるということもあるのが人間関係の面白さである。教えるためには知識や技術を整理しなければならず、理解を深めることにつながる。未熟な他人を見ると自分の未熟さもさらにわかる。その意味で、後輩は己の鏡なのだ。

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。