第43回「学校と宗教」

榎本海月の連載

教育と宗教と国家

長い間、教育と深く結びついていたのは宗教だった。宗教は信者を増やし、また神官(司祭、僧侶)を養成するためにも教育をしなければならなかった。また、多くの時代と地域で神官は修行の中で(時に直接的に自分の宗教と関係のないものも含めて)知識を蓄えるので、教育者として適切ということもあった。
別の側面を取り上げれば、道徳的教育に宗教が都合がいい(あるいは他に選択肢がなかった)こともある。多くの宗教には「私たちはどのように生きればいいのか」「どう生きるのがよく生きるということなのか」「何が悪で、どうしてそれを選んではいけないのか」という点が盛り込まれている。これが、人々に道徳を身につけさせて円滑的な集団生活、社会生活へ導くのに都合が良かったのだ。
結果、たとえば中国や日本では儒教(儒学)が宗教であり学問であり「人間の理想のあり方」として重視され、人々の価値観に大きな影響を与えた。特に中国では役人になるための試験「科挙」を突破するためには儒教を深く学ばねばならず、そうなると国を動かす若きエリートが自然と儒教的価値観に染まるわけだ。
このような「信仰・布教のための学校」と「国家が宗教を統制のために利用する学校」という側面は近代まで長く続くことになる。

新しい教育の時代へ

近代、国家の方針や政策は一部の特権階級が独占して決定するものではなく、市民が主に選挙という形でこれに関与し、責任をもっていくという方向へ向かっていく。民主主義の目覚めだ。そしてこうなると、これまでのような余裕のあるもののためだけではない、職業訓練のためだけでもない、そして宗教に縛られてもいない、新しい学校が必要になる。
つまり、民主主義においては自分の頭で考えて投票する市民が必要なわけで、そのためには誰もが通う学校を作って教育をしなければならないわけだ。文字を解さない国民ばかりでは新聞も読めず、「今の政治がどうなっているのか」「自分のためには誰がどんな政治をしてくれればよいのか」を考えることもできない。また、国民が同じ教育を受けることで仲間意識、公的な意識が目覚め、「自分は個人であると同時にこの国の一員である」という感覚も生まれる。これは国家が徴兵して国民軍を形成し、総力戦をするのにも都合が良かったわけだ。
かくして、近代的な「誰もが同じように教育を受ける権利がある」という学校制度が整備されていった。

【執筆者紹介】榎本海月(えのもと・くらげ)
オタク系ライター、ライトノベル編集者。榎本事務所に所属して幅広く企画、編集、執筆活動に従事。共著として『絶対誰も読まないと思う小説を書いている人はネットノベルの世界で勇者になれる。ネット小説創作入門』などがある。
2019年に新刊『この一冊がプロへの道を開く!エンタメ小説の書き方』『物語づくりのための黄金パターン117』『物語づくりのための黄金パターン117 キャラクター編』(ES BOOKS)、『異世界ファンタジーの創作事典』『中世世界創作事典』『神話と伝説の創作事典』『日本神話と和風の創作事典』『ストーリー創作のためのアイデア・コンセプトアイデアの考え方』(秀和システム)を刊行。
2020年の新刊には『古代中国と中華風の創作事典』(秀和システム)がある。
PN暁知明として時代小説『隠密代官』(だいわ文庫)執筆。愛知県名古屋市の【専門学校日本マンガ芸術学院小説クリエイトコース】講師として長年創作指導の現場に関わっている。

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